タイロン・ウッズは藤川球児を打てませんでしたね。7月26日の阪神−中日戦。3−2と阪神1点リードで迎えた8回裏、久保田智之が2死満塁まで攻め立てられて、打席にはこの時点でのホームラン王・ウッズ。ここで救援した藤川は、アウトローにストレートを投げ込んで、ものの見事に三振に仕留めた。
 藤川も高めのストレートだけで勝負する力任せのスタイルからだいぶ変わってきた。右打者のアウトローへ投げ込んだストレートがきっちり伸びて、あのウッズが手も足も出ないのだから大したものだ。ストレート一本槍ではなく、打者によって投げるフォークも低めにコントロールされているし、一段レベルが上がったのではないだろうか。大人の剛球派とでもいいましょうか。それにしても、ストレートで打者を牛耳ることのできる投手というのは、やはり気持ちがいい。

 思い出されるのは、オールスター第2戦に先発して、ストレートを投げてはボコボコに打ち込まれた東北楽天の“マー君”こと田中将大の姿である。登板後、テレビに出演したマー君は「ストレートで勝負できる投手になりたいが、自分はまだまだです」としきりに反省していた。同じくゲスト出演した野村克也監督は「プロで通用するストレートは、伸びがなくてはならない。変化球はいいのだが、それがマー君の課題」と強調しておられた。

 その通りでしょうね。ところで、ちょうど二人がテレビでそんな話をしているころに登板したパ・リーグの投手が、全球ストレートでセの打者をいとも簡単に三者凡退に退けたのをご存知だろうか。その投手の名は、千葉ロッテマリーンズ・成瀬善久である。
 横浜高から入団4年目のこの左腕は、今年パ・リーグの防御率1位を維持し続けている。といっても、藤川や田中のように、150キロ台のストレートがあるわけではない。球速はせいぜい138〜140キロ程度だ。それなのに、今季は投球のおそらく6割くらいがストレートで、しかもそう簡単に打たれない。

 マー君もびっくりの成瀬の秘密とは何か。
 例えば、7月28日の北海道日本ハム戦を見てみよう。7回2失点完投(雨天コールド)で9勝目をあげた試合である。
 1回裏、1番森本稀哲。�アウトハイ 空振り �アウトハイ ファウル �アウトハイ 空振り三振。いずれもストレートである。
 3番高橋信二に対しては、�インロー ストライク �インハイ ボール �アウトロー ファウル �インハイ 空振り三振。4球ともストレートである。
 2回裏、4番セギノール。�アウトロー スライダー 空振り �インロー ストレート ストライク �アウトロー チェンジアップ ボール �アウトロー ストレート 見逃し三振。
 もちろん変化球も投げますよ、という意味でセギノールの打席も紹介した。変化球は、カーブと、低めへのスライダー、チェンジアップ。あくまでもストレートを中心に、この3種類の変化球で組み立てているようだ。

 で、なぜ140キロにも満たないストレートをパ・リーグの強打者が見逃したり空振りしたり、凡打するのか。
 一般的な解説はこうだ。フォームのテイクバックが小さくボールの出どころが見づらい。しかもボールを前(打者寄り)で放すので、打者はタイミングがとりづらい。
 いや、もちろんその通りだと思います。ただ、私なりの言い方を許していただくとすれば、ズバリ、右足を上げてからの“間”である。

 成瀬はややスリークォーター気味に下がったヒジの位置から左腕を振るピッチャーである。で、足を上げるとき、1回上がりきってからステップして着地にいくまでに、他の投手とは違う間がある。
 上がった足があっさり下りないのだ。上がって、止まるわけではないが、いわばジリジリ粘っこい時間をかけて体重が前に移動し、足が着地していく。着地までの時間に粘りがある、とでも表現すればいいのだろうか。
 他の投手とは異質の間が、おそらくは打者のタイミングのとりづらさにつながっているだろうし、また、軸足にためた体重を前に移動させていって爆発させる、ボールを前で放すという投手の最大のアドバンテージを実現しているのではないか。

 このことは、横から彼のフォームを見るとよくわかる。
 足が上がって、ズリズリッと着地すると、いったんは軸足(左足)にたまった体重が、しっかり前足(右足)に移る。ややサイド気味の低い位置で振られた左腕は(ここが肝心なのだが)、最後のリリースの瞬間に、しっかり上から下へ、タテに振られる。この動作が、体の前(打者寄り)で行われる。
 何回見ても、見事なものです。

 ここで、いくつか注釈をつけたい。
 まず、最終的には腕が上から下へタテに振られている点。これがあるから、ボールが左右にブレにくい。つまり、スライダー、チェンジアップも含めて、コーナーいっぱいのボールがストライクになりやすいのである。

 ここで例えば、広島カープの期待の本格派、大竹寛を思い出してほしい。彼は、初球のアウトローを狙ったスライダー、ストレートがボールになるケースが極めて多い。すぐに、ボール、ボールと続いてカウント0−2になり、エェイっと力任せに投げたボールが中に入って痛打を浴びる。この悪循環の原因は、コーナーを狙った初球がボールになりやすいことにある。そして、その原因は、体重が前に行ききらず、最終的にリリースで腕が横に振られているからではないだろうか。

 成瀬と同様のことは、北海道日本ハムのセットアッパー武田久にも言えるのかもしれない。つい、なぜあの程度のスライダー、ストレートが打てないのだろうと思ってしまうが、武田の場合も、外角低めいっぱいのスライダーが高い確率でストライクになっているのは確かだ。

 次に、軸足にためた体重が、きっちり前に移動している点について。
 これについては、投げ終わった後の軸足(後ろ側の足)がどこに着地するかを見てみたい。例えば、8月1日の中日戦。大竹の立ち上がりを見ると、右足(軸足)は投げ終わった後、ステップした左足の横あたりに着地している。
 あるいは、オールスターでボコボコに打たれた田中を思い出してください。あの日、マー君は全力でストレートを投げていたけれども、投げ終わった後、右足は下手すりゃステップした左足より後ろに着地していた。まるでセンター方向にバックするみたいに。これって、体重(すなわち体のパワー)が前に移りきっていない証拠ではあるまいか。
 成瀬という参照軸を媒介にすると、大竹や田中のストレートが速いわりには、よく打たれる理由が鮮明になるのである。

 それにしてもなぁ。あの横浜高の成瀬がここまで成長するんですねぇ。横浜高校時代で比べれば、1年後輩の涌井秀章(西武ライオンズ)の方が、よっぽどいい投手だと思っていた(もちろん涌井もパ・リーグを代表する投手に成長したが)。実は昨年、千葉マリンスタジアムで成瀬の試合を観たこともあるが、正直言って今季の活躍は予測できませんでした。
 ふと思う。これは誰の勝利なのだろう。もちろん、成瀬本人の勝利である。彼の努力がここまでの成長を生んだ。それでは、千葉ロッテのスカウトや育成のシステムはどうだったのだろう。あるいは横浜高校のシステムは?

 6年かかって大竹ほどの才能を育てきれないチームと、4年で140キロ出なくても防御率1位投手を育てたチーム。我々は、そのあたりを真剣に考えないといけないのではあるまいか(念のために言うが、現在のブラウン監督やコーチを批判しているのではない。高卒で入団させたら、少なくともその何割かの選手は、3〜4年で1軍レベルに育成するのが、プロ球団というものだろう。ましてや、高校生を指名して育てる球団ということを標榜しているのだから。しかし実際には、今、大竹以外に高卒でドラフト指名された投手は、せいぜい96年入団の長谷川昌幸くらいだ〔大竹は8月2日、右肩違和感で登録抹消〕)。

 課題はもちろん、田中にも及ぶ。あれだけの才能をもった投手を、東北楽天はプロ球団として、果たしてどのように育て上げるだろうか。プロ野球を観る者として、われわれも看視していかねばならない。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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