巨人の不在について
先日発表されたオールスター・ファン投票の最終結果には、ある顕著な特徴があった。東北楽天の選手が8人も選ばれたこと? もちろんパ・リーグの特徴はそれに尽きるが、ここで話題にしたいのはセ・リーグである。首位を走る巨人の選手がやけに少ない。選ばれたのは中継ぎ投手の林昌範と捕手の阿部慎之助、三塁手・小笠原道大の3人だけ。楽天ではなく、久々に首位を快走する日本一の人気球団こそ、8つくらいのポジションを占めても不思議ではないのに。
打率でベストテンの5位以内をキープしている外野手の高橋由伸も谷佳知も、守護神に転向して結果を出し続けているエース上原浩治の名前もない。早々に2ケタ10勝をあげた高橋尚成は先発投手部門の5位だった(彼らは後に監督推薦で選出されたわけだが、今はファン投票の話です)。
これ、「巨人の不在」とでも名付けるべき現象ではないだろうか。
実は巨人の不在はファン投票のみで起きている現象ではない。例えば、6月29日から7月1日まで、巨人−広島3連戦が行なわれたが、土、日にあたる30日、1日のテレビ中継は、事実上、ないのも同然であった(以下の記述は東京の番組編成表によります)。なにしろ、30日は14時半から16時までの1時間半だけ。6回裏、広島カープの攻撃、満塁で代打、前田智徳が打席に向かう途中でプッツリ番組終了。カープの反撃なるか巨人が凌ぐか、わからずじまい。
翌1日は、生中継ではなく、なんと15時半から17時半までの録画中継。2時間に編集してあるから、試合の流れなどわかったものじゃない。逆にひとつだけわかりすぎるくらいわかったことがある。まだ番組終了まで30分も残っている4時58分に画面が突然9回表になって、永川勝浩が登場したのである(この時点でカープが6−4と2点リード)。これから約20分にもわたって永川が打たれて大量点を取られるんだな、ということは、番組を観るまでもなく、時計を見るだけでわかってしまった(実際5点取られてカープは大逆転負け)。せっかくの巨人の選手たちのプレーも、とてもじっくりは見られませんでした。
ちなみに、この3連戦、私が加入しているケーブルテレビでは、どこを探しても中継がなかった。北海道日本ハムとか中日とか他のカードはあったけれども(もっと何でも観られる高度な契約にすれば、どこかで観られたのかもしれませんが)。つまり、ありていにいえば、この土日、巨人戦の中継はないに等しかったのである。これもまた、巨人の不在というべき事態ではあるまいか。
同様のことは6月16日の土曜日にも起きていた。どこを探しても巨人戦中継がない。翌17日にはテレビ朝日が中継していたが、驚いたのはゲストの名前。星野仙一、中居正広とある。なんだか、スタッフの焦りを感じますね。どうしても巨人戦で視聴率をとらなきゃいけないから、人気No.1の大物・星野仙一氏を呼ぶ。それでもまだ不安だから、SMAPの中居くんでダメ押し、という発想に見える。逆にいえば、「巨人戦」というだけでは無理という判断が働いているようにしか思えない。
これはどういうことなのだろう。
一つの解釈は、ケーブルテレビ説である。つまり、ケーブルテレビに入れば、巨人戦以外でも、たいていの試合が開始から終了まですべて観られる。野球好きは、地上波に見切りをつけて、ケーブルで自分のひいきチームの試合を最後までじっくり観ている。それが日本の野球文化として定着してきた、という解釈だ。
一理はあるでしょうね。私だってカープのみならず、日本ハム戦とかオリックス戦とか中日戦とか、けっこうケーブルで最後まで観ている。
ただ、それは巨人戦以外のカードも観られる機会が増えたということであって、巨人の不在の説明にはならない。
このほど大澤真幸著『ナショナリズムの由来』(講談社)という本を出しました。15年がかりの大作なのだけれど、結構いけてます。要は、人間はなぜ「ナショナリズム」という根拠のない衝動にとらわれてしまうのだろうか、という社会の根源的な疑問を解こうとした本だ。
あえて牽強付会を許していただければ、人はなぜ自分のひいきチームに入れ込むのか、という問いと似てますね。大澤さんの議論をめちゃくちゃ乱暴にまとめると、古典的ナショナリズムは超越的なもの(第三者の審級)に基づく大きな物語だったが、現代のナショナリズムはむしろローカルで小さなさまざまな物語が過剰に生み出される形で出現するという。
ここから先は、大澤さんから離れます。日本のプロ野球には、かつて巨人という大きな物語があった。これは厳然とした事実である。巨人帝国時代といってもいいだろう。しかし、ケーブルテレビやパソコンの進化で、巨人以外のさまざまなチームのファン(多様な物語)が試合を楽しめる時代が到来した。このとき、必然的に、かつてあった超越的な、要するに大きな物語が不在化していったのではないか。
それに拍車をかけたのが巨人のチーム構成である。谷(元オリックス)、小笠原(元北海道日本ハム)、李承(元千葉ロッテ)、そして今年不動のセットアッパーとして貢献度の高い豊田清(元西武)などなど。ローカルな各々の球団で、それぞれの小さな物語に共感してファンが構成される時代になったのだ。巨人のように各球団からスター選手を集めていわば多国籍軍的な巨大戦力を形成する、帝国的な大きな物語は、今や人々が自分の共感を投影する対象になりにくいのだ。このことを逆に証明したのが、ファン投票の先発投手部門での黒田博樹の人気である。2位の川上憲伸に約2倍の差をつけて58万票を獲得した。明らかに昨オフ、巨人か阪神か……と言われたFA権を行使せず、広島カープというローカルな地点に残留した行動がファンの圧倒的支持を得たのだ。
もう一つ、皮肉なことがある。今年からセ・リーグも「クライマックス・シリーズ」なるプレーオフ制度を導入した。つまり、ペナントレース1位は事実上、リーグ優勝ではない。ペナントレースは3位に入るための戦いになってしまった(これは明らかにおかしな制度である。プレーオフをやるなら、もっとまともな方式を考えるべきだ)。
つまり、巨人ファンの方々は、気の毒なことに、せっかくこれだけ好調なのに、ストレートに今年は優勝だ、と思うことができないのである。144試合戦って最高勝率のチームが優勝、という大きな、あるいは普遍的な物語が、ここでも解体されてしまっていたのだ。巨人ファンが、真っ先にこの制度のいびつさに気付かされてしまった。
このようにして、帝国的巨人軍は、いつの間にか不在化されていったのだ。ただし、これは決して、テレビ局の経営者の方々のようにうろたえ、悲しむべきことではない。東京ローカルの球団として、やっていけばいいのだ。実数発表ということを信じれば、東京ドームの試合にはいつも4万人以上の観客が入っている。すごいことではないですか。
ついでにいえば、阪神タイガースは、不在化とは無縁のようだ。関西の事情にはうといのですが、先日出張に行ったら、なんとABCテレビは地上波で、試合開始から終了までナイターを完全中継していました。19時から21時までで打ち切りの巨人戦中継もあったけれども、そりゃあタイガースファンならずとも、前者に心が動きます。ただ、この球団は、あまりにベテラン頼りで、戦力の空洞化が起きているのが気になる。まあ打線は林威助中心でいくことだ。坂克彦も出てきたし、個人的に好きな若竹竜士も初登板を飾ったし、その辺が鍵だと思いますが……。それにしても、地上波完全中継というのは羨ましいなあ。広島の民放にも、そういう決断のできる局はないのだろうか。
というわけで、少々、蛇足を加える。一昨年の千葉ロッテ、昨年の北海道日本ハムと、まさにローカルであることを存立基盤とする球団が日本一に輝いた。これに続くべき地方球団・広島カープは何をやっているのだ、と何度も嘆いてきました。最下位に沈んでいる現在のカープの不振の原因は、決して、現場の監督、コーチ、選手にはない。彼らはやれる範囲のことはやっている。明らかに、編成に問題があるのだ。つまり、長年、才能のある選手を獲得してこなかったツケが回ってきているのだ。
その例証として、ドラフトに対する姿勢をあげたい。
成功したチームから見てみよう。北海道日本ハム。競合覚悟でダルビッシュ有を指名して獲得できたことと、今の好調は無縁ではない。あるいは福岡ソフトバンク希望といわれた陽仲壽も強行指名して獲得した。彼は来年以降いい野手に成長しそうだ。あるいは、巨人志望といわれた長野久義も敢然と指名した(入団は拒否されたが)。
千葉ロッテ。こちらもソフトバンク志望といわれた八重山商工の大嶺祐太を強行指名して獲得したことは、記憶に新しいだろう。
翻って、近年、カープにこのような強行指名があっただろうか。むしろ、地元出身で久々の甲子園優勝投手となった広陵の西村健太朗を、みすみす巨人に獲られてしまったではないか。あれは、お譲りしたんですか? 新井貴浩、嶋重宣の育ての親といわれた内田順三コーチも、原辰徳巨人監督の就任とともに、あっさり巨人に手放してしまった。
つまり、日本ハムやロッテは、巨人・ソフトバンク帝国に、意識的にたてついてチームを編成しているのに対し、カープはその帝国に従属してしまっている。この球団経営姿勢の違いが、かたや日本一、かたや最下位という明快な結果となってあらわれているのである。
過日、「巨人、大場獲り」というスポーツ紙の大見出しが踊った。東都の奪三振王と呼ばれる東洋大の大場翔太のことである。事実かどうかは知りませんが、またか、という印象はぬぐえない。ナンバーワン投手は毎年、巨人が獲っていく。そのこと自体にみんな飽きているということに気づけよなあ。
一方のカープ。高校球界のスーパースター中田翔(大阪桐蔭)には行かないんだそうな。報道では、中田に注目しているのは8〜9球団といわれる。簡単な引き算です。西武は裏金問題で指名権無し。楽天は、地元仙台育英の150キロ右腕・佐藤由規に行かざるをえない。広島は指名しない。だから12−3=9だそうです。
去年は、田中将大に行かなかった。楽天が今年健闘しているのは、半分は田中の力ですよ。もしカープが田中に入札してクジが当たっていたら、絶対に今のような最下位はなかった。むしろ、ゴールデンウイークの連勝がうまく作用して3位争いくらいしていたかもしれない。素質に恵まれない選手ばかり集めて苦戦しているというのは、これだけでも了解していただけると思う。
しかも、なぜか、清原和博以来の素質を誇る地元出身スーパースターに見向きもしない。このような姿勢で、強いチームがつくられるはずがない。
巨人の不在、カープの非在とでもいうべき事態は、両球団とも、経営の発想が変わらない限り、改善されることはないだろう。
上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
打率でベストテンの5位以内をキープしている外野手の高橋由伸も谷佳知も、守護神に転向して結果を出し続けているエース上原浩治の名前もない。早々に2ケタ10勝をあげた高橋尚成は先発投手部門の5位だった(彼らは後に監督推薦で選出されたわけだが、今はファン投票の話です)。
これ、「巨人の不在」とでも名付けるべき現象ではないだろうか。
実は巨人の不在はファン投票のみで起きている現象ではない。例えば、6月29日から7月1日まで、巨人−広島3連戦が行なわれたが、土、日にあたる30日、1日のテレビ中継は、事実上、ないのも同然であった(以下の記述は東京の番組編成表によります)。なにしろ、30日は14時半から16時までの1時間半だけ。6回裏、広島カープの攻撃、満塁で代打、前田智徳が打席に向かう途中でプッツリ番組終了。カープの反撃なるか巨人が凌ぐか、わからずじまい。
翌1日は、生中継ではなく、なんと15時半から17時半までの録画中継。2時間に編集してあるから、試合の流れなどわかったものじゃない。逆にひとつだけわかりすぎるくらいわかったことがある。まだ番組終了まで30分も残っている4時58分に画面が突然9回表になって、永川勝浩が登場したのである(この時点でカープが6−4と2点リード)。これから約20分にもわたって永川が打たれて大量点を取られるんだな、ということは、番組を観るまでもなく、時計を見るだけでわかってしまった(実際5点取られてカープは大逆転負け)。せっかくの巨人の選手たちのプレーも、とてもじっくりは見られませんでした。
ちなみに、この3連戦、私が加入しているケーブルテレビでは、どこを探しても中継がなかった。北海道日本ハムとか中日とか他のカードはあったけれども(もっと何でも観られる高度な契約にすれば、どこかで観られたのかもしれませんが)。つまり、ありていにいえば、この土日、巨人戦の中継はないに等しかったのである。これもまた、巨人の不在というべき事態ではあるまいか。
同様のことは6月16日の土曜日にも起きていた。どこを探しても巨人戦中継がない。翌17日にはテレビ朝日が中継していたが、驚いたのはゲストの名前。星野仙一、中居正広とある。なんだか、スタッフの焦りを感じますね。どうしても巨人戦で視聴率をとらなきゃいけないから、人気No.1の大物・星野仙一氏を呼ぶ。それでもまだ不安だから、SMAPの中居くんでダメ押し、という発想に見える。逆にいえば、「巨人戦」というだけでは無理という判断が働いているようにしか思えない。
これはどういうことなのだろう。
一つの解釈は、ケーブルテレビ説である。つまり、ケーブルテレビに入れば、巨人戦以外でも、たいていの試合が開始から終了まですべて観られる。野球好きは、地上波に見切りをつけて、ケーブルで自分のひいきチームの試合を最後までじっくり観ている。それが日本の野球文化として定着してきた、という解釈だ。
一理はあるでしょうね。私だってカープのみならず、日本ハム戦とかオリックス戦とか中日戦とか、けっこうケーブルで最後まで観ている。
ただ、それは巨人戦以外のカードも観られる機会が増えたということであって、巨人の不在の説明にはならない。
このほど大澤真幸著『ナショナリズムの由来』(講談社)という本を出しました。15年がかりの大作なのだけれど、結構いけてます。要は、人間はなぜ「ナショナリズム」という根拠のない衝動にとらわれてしまうのだろうか、という社会の根源的な疑問を解こうとした本だ。
あえて牽強付会を許していただければ、人はなぜ自分のひいきチームに入れ込むのか、という問いと似てますね。大澤さんの議論をめちゃくちゃ乱暴にまとめると、古典的ナショナリズムは超越的なもの(第三者の審級)に基づく大きな物語だったが、現代のナショナリズムはむしろローカルで小さなさまざまな物語が過剰に生み出される形で出現するという。
ここから先は、大澤さんから離れます。日本のプロ野球には、かつて巨人という大きな物語があった。これは厳然とした事実である。巨人帝国時代といってもいいだろう。しかし、ケーブルテレビやパソコンの進化で、巨人以外のさまざまなチームのファン(多様な物語)が試合を楽しめる時代が到来した。このとき、必然的に、かつてあった超越的な、要するに大きな物語が不在化していったのではないか。
それに拍車をかけたのが巨人のチーム構成である。谷(元オリックス)、小笠原(元北海道日本ハム)、李承(元千葉ロッテ)、そして今年不動のセットアッパーとして貢献度の高い豊田清(元西武)などなど。ローカルな各々の球団で、それぞれの小さな物語に共感してファンが構成される時代になったのだ。巨人のように各球団からスター選手を集めていわば多国籍軍的な巨大戦力を形成する、帝国的な大きな物語は、今や人々が自分の共感を投影する対象になりにくいのだ。このことを逆に証明したのが、ファン投票の先発投手部門での黒田博樹の人気である。2位の川上憲伸に約2倍の差をつけて58万票を獲得した。明らかに昨オフ、巨人か阪神か……と言われたFA権を行使せず、広島カープというローカルな地点に残留した行動がファンの圧倒的支持を得たのだ。
もう一つ、皮肉なことがある。今年からセ・リーグも「クライマックス・シリーズ」なるプレーオフ制度を導入した。つまり、ペナントレース1位は事実上、リーグ優勝ではない。ペナントレースは3位に入るための戦いになってしまった(これは明らかにおかしな制度である。プレーオフをやるなら、もっとまともな方式を考えるべきだ)。
つまり、巨人ファンの方々は、気の毒なことに、せっかくこれだけ好調なのに、ストレートに今年は優勝だ、と思うことができないのである。144試合戦って最高勝率のチームが優勝、という大きな、あるいは普遍的な物語が、ここでも解体されてしまっていたのだ。巨人ファンが、真っ先にこの制度のいびつさに気付かされてしまった。
このようにして、帝国的巨人軍は、いつの間にか不在化されていったのだ。ただし、これは決して、テレビ局の経営者の方々のようにうろたえ、悲しむべきことではない。東京ローカルの球団として、やっていけばいいのだ。実数発表ということを信じれば、東京ドームの試合にはいつも4万人以上の観客が入っている。すごいことではないですか。
ついでにいえば、阪神タイガースは、不在化とは無縁のようだ。関西の事情にはうといのですが、先日出張に行ったら、なんとABCテレビは地上波で、試合開始から終了までナイターを完全中継していました。19時から21時までで打ち切りの巨人戦中継もあったけれども、そりゃあタイガースファンならずとも、前者に心が動きます。ただ、この球団は、あまりにベテラン頼りで、戦力の空洞化が起きているのが気になる。まあ打線は林威助中心でいくことだ。坂克彦も出てきたし、個人的に好きな若竹竜士も初登板を飾ったし、その辺が鍵だと思いますが……。それにしても、地上波完全中継というのは羨ましいなあ。広島の民放にも、そういう決断のできる局はないのだろうか。
というわけで、少々、蛇足を加える。一昨年の千葉ロッテ、昨年の北海道日本ハムと、まさにローカルであることを存立基盤とする球団が日本一に輝いた。これに続くべき地方球団・広島カープは何をやっているのだ、と何度も嘆いてきました。最下位に沈んでいる現在のカープの不振の原因は、決して、現場の監督、コーチ、選手にはない。彼らはやれる範囲のことはやっている。明らかに、編成に問題があるのだ。つまり、長年、才能のある選手を獲得してこなかったツケが回ってきているのだ。
その例証として、ドラフトに対する姿勢をあげたい。
成功したチームから見てみよう。北海道日本ハム。競合覚悟でダルビッシュ有を指名して獲得できたことと、今の好調は無縁ではない。あるいは福岡ソフトバンク希望といわれた陽仲壽も強行指名して獲得した。彼は来年以降いい野手に成長しそうだ。あるいは、巨人志望といわれた長野久義も敢然と指名した(入団は拒否されたが)。
千葉ロッテ。こちらもソフトバンク志望といわれた八重山商工の大嶺祐太を強行指名して獲得したことは、記憶に新しいだろう。
翻って、近年、カープにこのような強行指名があっただろうか。むしろ、地元出身で久々の甲子園優勝投手となった広陵の西村健太朗を、みすみす巨人に獲られてしまったではないか。あれは、お譲りしたんですか? 新井貴浩、嶋重宣の育ての親といわれた内田順三コーチも、原辰徳巨人監督の就任とともに、あっさり巨人に手放してしまった。
つまり、日本ハムやロッテは、巨人・ソフトバンク帝国に、意識的にたてついてチームを編成しているのに対し、カープはその帝国に従属してしまっている。この球団経営姿勢の違いが、かたや日本一、かたや最下位という明快な結果となってあらわれているのである。
過日、「巨人、大場獲り」というスポーツ紙の大見出しが踊った。東都の奪三振王と呼ばれる東洋大の大場翔太のことである。事実かどうかは知りませんが、またか、という印象はぬぐえない。ナンバーワン投手は毎年、巨人が獲っていく。そのこと自体にみんな飽きているということに気づけよなあ。
一方のカープ。高校球界のスーパースター中田翔(大阪桐蔭)には行かないんだそうな。報道では、中田に注目しているのは8〜9球団といわれる。簡単な引き算です。西武は裏金問題で指名権無し。楽天は、地元仙台育英の150キロ右腕・佐藤由規に行かざるをえない。広島は指名しない。だから12−3=9だそうです。
去年は、田中将大に行かなかった。楽天が今年健闘しているのは、半分は田中の力ですよ。もしカープが田中に入札してクジが当たっていたら、絶対に今のような最下位はなかった。むしろ、ゴールデンウイークの連勝がうまく作用して3位争いくらいしていたかもしれない。素質に恵まれない選手ばかり集めて苦戦しているというのは、これだけでも了解していただけると思う。
しかも、なぜか、清原和博以来の素質を誇る地元出身スーパースターに見向きもしない。このような姿勢で、強いチームがつくられるはずがない。
巨人の不在、カープの非在とでもいうべき事態は、両球団とも、経営の発想が変わらない限り、改善されることはないだろう。
上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。