日本人として初めてW杯の舞台に立ったのは、実はW杯フランス大会のメンバーではない。中大でプレーした丸山義行さんである。70年W杯メキシコ大会で副審を務めた彼が、初めてW杯の芝生を踏んだ日本人だった。

 

 サッカーにおける審判とは、炭鉱のカナリアのようなものである。いずれ訪れる未来の兆候は、まず審判に表れる。つまり、W杯に抜擢されるような優れた審判のいる国は、強くなっていく可能性が高い。98年W杯フランス大会決勝の笛を吹いたのは、モロッコ人のサイード・ベルコーラさんだった。

 

 炭鉱に一番先に足を踏み入れるのが審判だとしたら、最後にやってくるのは監督である。いい審判がいる国は強くなる。強くなった国にはいい選手がいる。そして、いい選手を輩出する国の指導者は、世界中から引っ張りだこになる。

 

 グアルディオラとバルセロナが世界中を席巻するまで、スペイン人指導者を欲しがる国はほぼ皆無だった。リーガでも、資金力のあるクラブはこぞって外国人の監督を招聘していた。W杯で優勝したわけでもなく、英語も満足にできないスペイン人の指導者を連れてこようと考えるイタリアやドイツ、イングランドのクラブは見当たらなかった。

 

 日本人選手のレベルと経験値はあがった。それに比べると日本人指導者は物足りない、という声がある。ただ、個人的にはそんなに心配することもないのでは、という気がしている。

 

 日本がW杯で世界を驚かせるような戦いを続けていけば世界の方が日本人指導者を放っておかなくなる。

 

 まして、世界トップクラスの監督たちに比べると、日本人指導者にかかる費用は格段に安い。戦力は限られている。それでも勝ちたいと考えるクラブからすると、たとえば森保監督などは願ったりかなったりの存在と言えるのではないか。

 

 言葉の問題は確かに重要だ。日本人指導者の語学力はおよそ世界のトップクラスとは言い難い。ただ、相手が聞く耳をもっているのであれば、言葉の問題は乗り越えられる。オシムさんは、日本語に堪能だっただろうか。

 

 要は、誰が最初のペンギンになるかといううことで、一つ成功例が生まれれば、日本人指導者を取り巻く環境は激変する。遠くない未来、欧州3大リーグに日本人監督が誕生していることをわたしは確信している。

 

 日本人指導者に関しては、そもそもライセンス制度は必要なのか、という議論もある。必要だ、とわたしは思う。ライセンスがない時代の日本は、W杯に出られなかった。ライセンスが導入されて、選手が金太郎飴のようになってしまったという不満はあれど、日本はW杯に出続けている。個性的な選手がいるけれど弱い日本と、似たような選手が多いけれど強い日本。わたしは断然、後者を選ぶ。

 

 ただ、日本相撲協会が導入している一代年寄のような制度はあってもいい。W杯に複数回出場した、一定数以上のキャップを獲得した選手には特例で資格を付与する、という考え方だ。86年W杯メキシコ大会で西ドイツを率いたベッケンバウアーも、ライセンス不所持だった。

 

 とはいえ、これが許されたのは、83年まで現役を続けた彼の名声が選手にも、メディアにも、ファンにも浸透していたからだった。引退から時間が経てば経つほど、名声は薄れ、ライセンスを持たない人物が監督になれる可能性は小さくなる。

 

 わたしが念頭においているのは、もちろん本田圭佑である。

 

<この原稿は23年1月26日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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