歴史はつながっている。

 

 現代サッカーの世界では古典的なゲームメーカーが絶滅危惧種となりつつあるが、依然、背番号10は特別な番号であり続けている。今後、どれだけサッカーがデジタル化していこうとも、最高の選手が背番号10を背負うという流れは、そう簡単になくなりそうもない。

 

「10」ほどではないとはいえ、一部の国、地域にとっては「14」という背番号も特別な意味を持っている。久保建英がレアル・ソシエダでこの番号を与えられた時には、まず驚きが先に立った。

 

 もちろん、背番号14と言えばヨハン・クライフ。ただ、バルセロナでプレーしていた時代、彼の背番号は主に「9」だった。当時のリーガは「1」から「11」の番号を先発メンバーに振り分ける方式をとっており、「14」は控え選手しかつけることが許されなかったからである。

 

 とはいえ、W杯で活躍するクライフの雄姿はスペインのファンにも広く知られており、才能豊かな選手の中には、背番号14を熱望する者もいた。

 

 たとえば、レアル・ソシエダ出身のレジェンド、シャビ・アロンソ。

 

 父親がバルセロナでプレーしていたこともあり、シャビ少年にとってのクライフは特別な存在であり続けた。まだ大学生だったころの彼にインタビューした際、「いつかは背番号14をつけてバルサでプレーしたい」と言い切ったのが強く印象に残っている。

 

 そんな青年が、後に白いチームでプレーすることになるのだから、人生はわからない。ただ、背番号14に対する彼の思いは変わらなかった。そして、多くのスペイン人にとって、背番号14は母国を初のW杯優勝に導いた男のものとして印象づけられていった。

 

 そんな伝説的な存在が愛した背番号を、久保は与えられた。期待薄の選手がつけられるゼッケンではない。そして、ここまでのところ、久保はチーム側の期待にまずまず応えている。ちなみに、まだ若手だったラ・レアル時代のシャビは、オーソドックスな背番号4をつけてプレーしていた。このままチームを欧州CLに導くようなことがあれば、サンセバスチャンの少年たちは背番号14と言えば久保だとイメージするようになる。

 

 かくして、歴史はつながっていく。

 

 ここ20年、わたしにとってボレーと言えばジダンだった。01~02シーズンの欧州CL決勝での決勝点。これは「フランス・フットボール」誌が選定した、“CL史上もっとも美しいゴール”の第1位にも選ばれている。だが、誇り高きフランス人ではないわたしの中では、先日、ランキングに変動が起きた。

 

 三笘の空中Wタッチボレーである。

 

 ジダンのボレーが美しかったのは、あまりボレーには適していない山なりのパスを鋭く合わせたからだった。簡単なプレーではないが、練習でならば、できないプロ選手はおそらくいない。

 

 だが、三笘のボレーは違う。何割かの選手は、たとえ練習であっても打つことができない難易度だった。舞台がCL決勝に比べると控えめなため、全世界へのインパクトはさほどではないかもしれないが、ブライトンとリバプールのファンにとっては、忘れられない一瞬になったことだろう。

 

 あのボレーで、三笘は「代名詞」を手に入れた。ああいうボレーを打ちたいという、少年ファンを生み出した。

 

 かくして歴史はつながっていく。つながっていく歴史の中に、日本人の名前が刻まれていく。そのことが、たまらなく嬉しい。

 

<この原稿は23年2月2日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから