白く広がる雪原に放たれたように、カラフルな選手たちが飛び出していった。

 その光景を見ながら目頭が熱くなったが、サングラスをかけていたので誰にも気づかれなかったはずだ。

 

「別海町で面白いものを作ろう!」という話が始まったのは昨年の3月。

 当初はトライアスロンをできないかという依頼を受けての現地下見だったのだが、凍り付いた野付湾を見て、ここでしかできないことをやりたくなったのが発端だ。この辺りはこの連載の第251回(「陸地を走らないマラソン誕生!?」)をご覧いただきたい。

 

 そんな別海アイスマラソンは「前例がないから面白いんじゃない!」と勢いよくスタートしたのはいいが、どこに行っても「面白い」から「リアリティ」になかなか移行しない。さらには、「氷の上を走っても大丈夫なのか?」、「そのエビデンスはあるのか?」という話になり、行き詰まってしまう。なにしろ、凍った海の上を大勢で走るなど誰もやったことがないのだ。

 

 専門家に聞いても「データがないので判断できない」と言われる始末。マラソンはワカサギ釣りをする人々が個人的に歩くのとはわけが違う。しかし、事故のリスクが払しょくできないと、行政も関係機関も頷いてはくれない。

また「マイナス20度の中で人間はちゃんと走れるのか?」「地吹雪で周りが見えない状況になったら?」と様々なリスクが想定され、解決策が見出せない日々が続いた。

 

 そこで力になってくれたのが、地元の協力者の方々。アウトドアガイドや漁師などの地元を知り尽くした人たちが、役場にもないような細かな情報を提供してくれ、多少なりとも安全性を保てるような状況が整った。医療関連も、アウトドア好きのドクターに協力いただけることになり、彼から様々なアドバイスをいただくことができた。

 

 昔から、「金がなくても熱意があるイベントにはいい人が集まり、金があるイベントには業者が集まる」のは感じていたが、今回もまさにそうなった。金も人も全く足りてないのに、精力的に協力いただける熱い人々に助けられた。

 

 変更に次ぐ変更

 

 しかし、今度は直前に問題が発生した。

 氷の張りはその年によって異なるとは聞いていたが、昨年末の温暖な気候が影響し、大会1週間前の氷のコンディションが良くないという。寒さの厳しい競技であるため、安全管理の面でもすぐ近くに暖をとれるような建物が必要で、コースはそれを確保できるキャンプ場の沿岸を予定していた。しかし、その場所は氷の状態が芳しくなかったので、予備で確保してあった1kmほど北に行った場所でやることとなった。

 

 だが、今度は氷の関係で、予定したコース取りが難しいという。急いで大会が成立するようなコースを作り、当初の想定とかなり違うものになってしまった。それを選手はもちろん、協力いただく自衛隊の皆さんに説明しなければならない。大会直前にコース変更どころか開催場所まで変更するイベントなど、そう多くはないだろう。

 

 さらに、2日前まで冷え込んでいた気候も大会前日辺りから暖かくなってきた。とはいってもマイナス15℃がマイナス5℃になったレベルではあるが……。それだけ気温が変わると、当然路面の状態も変わる。凍っていた路面の雪が柔らかくなってしまい、今度は走りにくい状況に。そんな路面に選手たちは苦しめられた。

 

 自然環境の中で行うスポーツは刻一刻と状況が変化する。全く同じコンディションなど二度とないのかもしれない。それは同じ場所でもあってもだ。今回はコース変更を数日前に行い、さらには当日も8時間のうちに晴れのち曇りのち雪のち霧という様々な天候が登場した。そのたびにウェアを工夫し、気持ちを切り替え、しなやかに進んでいくしかない。そこで嘆いても、怒っても、何も変わらない。心も体も道具も自然と戦うのではなく、自然に従う姿勢が大切だ。今回は運営する側も、走る選手たちも、それを改めて思い知る機会になった。

 

 ともあれ、子どもからベテランまで老若男女100名が海の上を走るという貴重な体験をすることができた。この景色は間違いなく、参加者の記憶に深く刻まれたはずだ。

 初回ということで、もちろん運営上改善すべきポイントは多々あったし、コロナ禍の影響による予定変更もあった。それでも、「ここでしかできないことをやって、価値観の変わるような経験の機会を作りたい」との思いを実現するために、想像力をかきたて、今までにないものを作り出すということを、多少はできたような気がする。

 

 さて、来年の野付湾はどんな気候でどんな顔を見せてくれるのか。

 運営としては思いやられる部分もあるが、ワクワクしながら準備に取り掛かりたい。

 

 第1回別海アイスマラソン、無事に終了しました!

 

 

>>別海アイスマラソンサイト

 

白戸太朗(しらと・たろう)プロフィール

17shiratoPF スポーツナビゲーター&プロトライアスリート。日本人として最初にトライアスロンワールドカップを転戦し、その後はアイアンマン(ロングディスタンス)へ転向、息の長い活動を続ける。近年はアドベンチャーレースへも積極的に参加、世界中を転戦していた。スカイパーフェクTV(J Sports)のレギュラーキャスターをつとめるなど、スポーツを多角的に説くナビゲータとして活躍中。08年11月、トライアスロンを国内に普及、発展させていくための会社「株式会社アスロニア」を設立、代表取締役を務める。17年7月より東京都議会議員。著書に『仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?』(マガジンハウス)、石田淳氏との共著『挫けない力 逆境に負けないセルフマネジメント術』(清流出版)。最新刊は『大切なのは「動く勇気」 トライアスロンから学ぶ快適人生術』 (TWJ books)

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