日本が3大会ぶり3回目の優勝を目指すWBCは、3月8日に開幕する。

 

 

<この原稿は2023年2月20日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

 侍ジャパンを率いる栗山英樹監督は、登録予定選手発表会見の場で、「日本野球の魂を最大限に生かせる形は何か。このメンバーなら世界一になれると考え、選ばせてもらった」と語った。

 

 目標については「世界一、それだけです」ときっぱり。よりすぐりの30人を率いて世界と戦う――。野球人としてこれ以上の幸せは他にあるまい。

 

 WBCの指揮を執る日本代表監督は栗山で5人目。王貞治が第1回、原辰徳が第2回大会で「世界一」を達成している。

 

 過去のWBCでは、監督になりたくてもなれなかった者もいる。よく知られるところでは2018年に他界した星野仙一。09年第2回大会の監督が有力視されながら、実現には至らなかった。

 

 星野の監督就任を阻んだのはイチロー(当時マリナーズ)の次の一言だった。

「北京の流れから(WBCを)リベンジの場ととらえている空気があるとしたら、チームが足並みを揃えることなど不可能」

 

 08年の北京五輪で星野ジャパンはメダルなしに終わった。星野周辺には翌年のWBCを「リベンジの場」ととらえる空気があり、イチローはそれに不快感を示したのだ。

 

 3年前の第1回大会、王の下で世界一を達成していたイチローからすれば、「五輪とWBCは別」との思いがあったはずだ。結局、星野は辞退し、指揮権は巨人監督の原に渡った。

 

 実はこの時、ひそかに代表監督の座を狙っていた者がいる。20年に他界した野村克也だ。

 

 WBC体制検討委員会のメンバーだった野村は、会議で星野を推した。ところが星野が辞退し、「さぁ、それでは誰だろう」となった時、野村は「だったら、おれにくるのかな」(自著『弱者の兵法』アスペクト)と思ったという。しかし、NPBの加藤良三コミッショナーが「世代交代」を理由に難色を示し、結局、野村ジャパンは幻に終わったのである。

 


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