43歳で賞金王に輝くなど、ゴルフ界の“中年の星”と呼ばれた藤田寛之さん。桜花爛漫の葛城ゴルフ俱楽部(静岡県袋井市)で、当HP編集長・二宮清純とゴルフ談議に花を咲かせる。

 

二宮清純: お久しぶりです。藤田さんは、今年からシニアツアーに本格参戦されているそうですね。

藤田寛之: はい。昨年、「スターツシニアゴルフトーナメント」でシニア初優勝を果たし、その後2勝目も挙げることができました。そこでレギュラーツアーを離れる決意をして、シニアに戦いの場を移しました。

 

二宮: レギュラーからシニアに変わる時には葛藤があると聞くのですが、そうした思いはなかったですか。

藤田: シニアツアーは50歳以上が参加できます。ただ実際は、40歳を過ぎた頃からレギュラーで戦えなくなってきた選手が、それぞれいろいろなことをやりながら、再び50歳でシニアに戻ってくることが多い。私はレギュラーで戦い続け、そのままシニアに突入したので、葛藤のようなものはありませんでした。

 

二宮 なるほど。昨年もレギュラーで戦いながら、シニアに参戦されていましたからね。

藤田 だから最初の頃は、「シニアにちょっとお邪魔させてもらう」という感じが強かったですね。

 

二宮: シニアの居心地はどうですか。

藤田: まさにお客さんのようで、最初は少し違和感がありました。でも、かつて一緒に戦った先輩や同世代の仲間と回るうちに、懐かしさや喜びが込み上げてきて、今ではすっかりなじみました。若い世代は入れ替わりが激しいので、なかなか顔と名前が一致しないのですが、シニアに関してはよく分かり、安心してプレーできます(笑)。

 

二宮: その意味では、年齢を重ねても続けていけるところが、ゴルフの良いところでもありますね。

藤田: おっしゃる通りです。50歳を過ぎても活躍のチャンスがあって、しかも大勢のギャラリー(観客)の前でプレーできる。こんなスポーツは、他になかなかないと思います。

 

二宮: 日本では、今どのくらいシニアの試合があるのですか。

藤田: 今年は、昨年から一つ減って13試合です。

 

二宮: それでも年齢を考えれば、かなりハードですね。藤田さんは現在53歳ですが、昔に比べて体力が落ちたという実感は?

藤田: すごく感じます(苦笑)。朝起きた時も疲れが抜けていないし、疲労感も大きくなっています。練習に関して言えば、昔ほどたくさんは打てなくなりました。それこそ昔は600球、700球と打っていましたが、手首や首が痛くなってしまうのでもうできません。今は200球くらいに抑え、代わりに長持ちする体をつくるトレーニングを多くしています。

 

二宮: 藤田さんのゴルフ人生についてもお聞きしたいのですが、高校1年でゴルフを始めて、専修大学時代にプロに転向されました。プロ入りに当たって苦労したことは?

藤田 体の大きさですね。当時プロで活躍している選手といえば、「AON」(青木功、尾崎将司、中嶋常幸)の3人をはじめ大きい人が多かった。みんな180cm前後です。ところが、私は168cmしかない。当然、周りは「うまくいかないだろう」という感じでしたし、私自身も「難しいだろうな」と思っていました。

 

二宮 それでもプロに?

藤田 当時、練習を見てもらっていた河野高明さんが背中を押してくれたんです。

 

二宮 ああ、河野さんに教わっていたんですね。160cmと小柄ながらツアーで活躍し、「リトル・コーノ」の愛称で親しまれました。

藤田 河野さんにプロ転向を相談したら、「小さいけど、体にバネがあるから面白いと思うよ」と言ってくれました。それでプロテストの受験を決意したんです。あの時、河野さんに「プロは難しい」と言われていたら、今の私はありませんでした。

 

(詳しいインタビューは5月1日発売の『第三文明』2023年6月号をぜひご覧ください)

 

藤田寛之(ふじた・ひろゆき)プロフィール>

1969年6月16日、福岡県福岡市出身。父親の影響で高校1年から本格的にゴルフを始める。専修大学在学中の92年にプロへ転向。97年の「サントリーオープン」でツアー初優勝を果たす。2012年、「ゴルフ日本シリーズJTカップ」で大会史上初の3連覇を飾るなど、年間4勝を挙げて賞金王に輝く。43歳での賞金王初戴冠は、ツアー史上最年長記録だった。19年、5試合でトップ5入りし、片山晋呉と並んで現役最長となる23年連続の賞金シードを確保。9月の「パナソニックオープン」では、史上6人目となる生涯獲得賞金15億円を達成した。22年、「スターツシニアゴルフトーナメント」でシニアツアー初優勝。23年からシニアツアーに本格参戦している。葛城ゴルフ俱楽部所属。


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