ハラスメント、という言葉に出合ったことのことを思い出してみる。

 

 第一印象は「はあ?」だった。職場で性的なジョークを言ったら「セクハラ」。上司が部下を厳しく𠮟ったら「パワハラ」……こんなもん、長くは続かん。本気でそう思った。

 

 職場に女性がいるわけでも、キツい上司がいるわけでもないわたしの場合、令和5年の日本の職場がどうなっているかは想像するしかない。ただ、平成の序盤に比べれば、確実に少なくなっているはずだ、とは思う。ひょっとすると陰湿になっただけなのかもしれないが、少なくとも、セクハラおやじ、パワハラ上司が自らの行為を武勇伝として語る時代ではなくなったはずだ。

 

 だとしたら、なぜ?

 

 日本人がハラスメントという言葉を知ったのと同じ頃、英国のサッカー場にはフーリガンがいた。イングランド代表が試合をする際は、現地の警察が最大級の警戒態勢を敷くのが常だった。アブなかったのは試合会場だけではない。スタジアムに向かう地下鉄や、駅近くのパブなども、危険な空気が満ち満ちていた。

 

 彼らもまた、ずいぶんと減った印象がある。

 

 理由はもちろん一つではあるまい。チケットが高騰したこと、サポーターが起こした事件の責任をチームが問われるようになった、というのも大きい。ただ、10年ほど前に英国の記者から聞いた分析も興味深かった。

 

「クールじゃなくなったから、じゃないかな」

 

 言われてみれば、それは日本の暴走族にも当てはまることだった。いわゆる良識派の人たちから眉を顰められる一方で、彼らの振る舞いには一定数のファンがついていた。ならず者であることが、一部の女性を惹きつける一因になっていたというのだ。

 

 ところが、いつの頃からか、入れ墨に頭を剃り上げた出でたちを、クールではなくダサいと感じる層が増え始めた。国が厳罰をチラつかせても、一般のファンから恐怖の対象とされても我関せずのフーリガンだったが、「レイム(ダサい)」と嘲笑されることには耐えられなかったらしい。

 

 つまり、厳罰や嫌悪、非難といった強い反応以上に、侮蔑、軽蔑といった周囲の冷ややかな眼差しが効果的な場合もある――というのが、英国記者の見立てだった。

 

 確固たる信念を持ってやっているというのであれば、正直、周囲が何をやっても効果はない。だが、何となく流されてやっているような人間であれば、軽蔑の視線は効く。自分がいい気分になるためにやっていることが、自分の居心地を悪くすることにつながってしまう。まったくもって、本末転倒である。

 

 ひいきのチームが負けた。誰かの責任を問いたくなる気持ちはわかる。わたしだって、テレビの前では数えきれないほど阪神や日本代表の選手、監督を呪い殺している。とはいえ、面と向かって罵倒する度胸はないし、そんなわたしは少数派ではないはずだ。

 

 ネットに罵詈雑言を書き込む人のほとんどは、きっと、ごく普通の人なのだと思う。セクハラ、パワハラをする人の多くがそうであるように、自分のしたことがどれだけ相手を傷つけたかに気付けていない。

 

 では、ネット上の誹謗中傷を減らすためにはどうするべきか。法的手段?アリだろうが、それだけではたぶん足りない。フーリガンは、なぜ減ったのか。そこにヒントを見いだしたわたしは、とりあえず、阪神・青柳を誹謗中傷した輩を、ひんやりと軽蔑している。 

 

<この原稿は23年4月27日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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