住友金属にはジーコがいる。リネカーに触手を伸ばしている所もあるらしい。ウチも負けてはいられない。きっと、そんな集団心理が働いたがゆえに、ディアスやリトバルスキーが日本へ来ることになったのだろう。

 

 我が道を行くチームもあった。たとえばガンバ大阪。資金力ならトヨタにも日産にも負けなかったはずだが、察するに、「無名ですけど実力は折り紙付き。お得でっせ」的な代理人のセールストークに飛びついたのだろう。それは、初年度が終わったあとに獲得した新戦力うがツベイバ、プロタソフ、アレイニコフの旧ソ連代表3人組だったことからもわかる(もっとも、ネームではなくコストのバリューに重きを置いたガンバのやり方は、後にエムボマという大当たりを生んでいる)。

 

 ただ、大物外国人には目もくれず、国内のスターを集める「巨人的手法」で動いたヴェルディも含め、30年前のJリーグは各クラブが互いの様子をうかがいあっていた。右に倣うのも、ソッポを向くのも、判断材料の一つにライバルの動向があったのは間違いない。

 

 いま、それと似たような状況にあるのはプレミアリーグである。Cが動けばUも動く。ガナーズの動きをスパーズは見逃さない。一人の新戦力を巡って水面下での争奪戦が繰り広げられることもしばしば。「1(2)対その他大勢」の図式が定着しつつある他国に比べ、ストーブリーグは活気に満ちている。

 

 30周年を迎えたJリーグには、依然としてジャイアント・クラブが生まれていない。言い方を変えれば、リーグやブンデス、フランスなどに比べればずいぶんと多くのチームにチャンスが残されているということにもなる。悪くいえばどんぐりの背比べだが、プレミア的ということもできる。

 

 にもかかわらず、いまのJリーグに30年前の、あるいは現在のプレミアのような“波及効果”は見られない。

 

 セレッソがフォルランを獲得したときにも期待した。ヴィッセルがイニエスタを連れてきたときには興奮もした。「きっと、この流れにどこかのクラブがのってくるはずだ」と思った。

 

 結果は、何も起こらなかった。

 

 セレッソがフォルランならウチは、と動くチームは現れず、イニエスタに負けないビッグネームを獲得したチームも現れなかった。ヴィッセルに一時的なブームをもたらしただけで、イニエスタはスパイクを壁にかけようとしている。

 

 先週末、大観衆の後押しを受けたレッズがアジアの頂点に立った。勝ったのは彼らだが、強かったのはどちらかと問われれば、わたしはアルヒラルと答える。相手監督が有能だから? 違う。個々の能力で、少しずつ彼らが上回っていたからだ。

 

 6年前、なぜサウジアラビア代表はアルヒラルのようなサッカーをやらないのか疑問に思ったものだった。やっと、答えがわかった。アルヒラルでプレーする選手の能力は、平均的なJリーガーを上回っている。ただ、海外でプレーする日本人選手ほどではない。きっと、そういうことなのだ。

 

 W杯を日本サッカー界の最終的目標だと考えた場合、才能ある選手が欧州でプレーすることは正しい。だが、ACLも重要視するとなると、Jリーグでプレーする日本代表が少数派になる現状はまったく好ましくない。どこかが風穴をあけ、どこかがそこに続かない限り、中東勢と戦うACLは、Jリーグにとってますます厳しいものになっていく。

 

<この原稿は23年5月11日付「スポーツニッポン」に掲載されています>


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