第256回 手応えと課題を感じたジェフへの練習参加 ~楽山孝志Vol.9~

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 楽山孝志は中京大学2年生からレギュラーに定着、地域選抜にも選ばれるようになった。

 

 地域選抜のほとんどの選手は関東、もしくは関西地区の大学リーグに所属しており、中京大学の所属する東海地区など、それ以外から選ばれるのはごく僅かだった。楽山が2年生のとき、中京大学は全日本大学サッカー選手権で初優勝している。それでも関東と関西地区の大学は地力で勝っていたのだ。彼らと一緒にプレーをする中で、楽山はどうすればプロ選手になれるだろうかと考え続けることになった。

 

 大学3年生のある日のことだった。楽山は意を決して、サッカー部監督である城山喜代次にJリーグクラブの練習に参加できませんかと言ってみた。

 

「ジェフに練習参加してみるか、と城山先生に言われました。当時ジェフユナイテッド市原で強化部長を務めていた昼田(宗昭)さんが中京大学出身で、城山先生と親交があったんです」

 

 楽山は大学4年生となる前の春休みを利用して、ジェフの練習に参加することになった。

 

 このシーズンからジェフの監督にはスロバキア人のジョゼフ・ベングロッシュが就任していた。ベングロッシュは、チェコスロバキア代表監督などを歴任し、世界でその名を知られる指導者だった。九州で行われたキャンプには、新加入の選手として、楽山と全日本大学サッカー選手権大会の決勝戦で対戦した筑波大学の羽生直剛たちの顔があった。

 

 Jリーグの選手の中に入っても自分の技術は通用すると感じたと楽山は振り返る。

 

「ボールを止める、蹴るというテクニックだけ取り上げれば、自分よりも劣る選手もいました。ただ、そのテクニックをどう使うかという、スキルという話になると別問題。ボールをもってこねくり回すとかという意味で、小中高(校生)でも上手い選手はいますよね。でもそれ(テクニック)を試合でどう使うかは別の話」

 

 ジェフの選手たちの中に入り、清水商業時代、臨時コーチだった李国秀から指摘されたことを思い出した。李が厳しく、そして何度も指摘していたことの一つは、テクニックとスキルの差だったのだと、はっとした。

 

「(中京)大学に入ってすぐの頃もそうでしたが、プロの練習に入ると、早いプレッシャーの中で正確にボールを扱う技術も大切ですが、オン以外の部分を多く求められる」

 

 オン以外とはボールを保持していないときのことだ。

「自分はそんなに身体が強いわけでもなく、スピードが飛びぬけているわけでもない。さらに長友(佑都)選手のようにスタミナがあって縦に動き続けられる選手でもない。そういう自分がプロでやっていけるとすれば、タイミングよく動き続けて危険な場所でボールを受けるスキルを身につけること。そして、ボールが無い時に良いポジションをとり相手よりも一歩先に動き出さねばならない」

 

 1週間ほどの練習参加で、楽山はたくさんの宿題を与えられたような気分だった。スキル、ポジショニングに加えて自らの身体を強靱にする必要があると痛感した。

 

「大学4年生のときは、すでに単位をほとんど取り終わっていたので、午前中は空いていました。その時間を利用して大学の筋トレルームに行くことにしました」

 

 多くのアスリートが所属している中京大豊田キャンパスには、「全天候型陸上競技場」照明設備、観客席のある「人工芝サッカー場」の他、テニスコート、ゴルフ練習場、球技専用体育館などが揃っている。その中の一つに「フィットネスプラザ」――通称“フィットネスジム”があった。600平方メートルの室内に各種のトレーニング機器が揃っていた(2018年の改修後は800平方メートルに拡大されている)。

 

 オリンピック級の選手からトレーニングを教わる

 

 あるとき、ふと隣を見ると筋骨隆々の男がトレーニングに励んでいた。その顔には見覚えがあった。室伏広治だった。

 

 74年生まれの室伏は、ハンマー投げのアジア記録、日本記録保持者であり、2004年のアテネ五輪で金メダルを獲得することになる。中京大学を卒業後、中京大学大学院に進み、母校を拠点に競技活動を行っていた。

 

「お父さんの室伏重信さんが中京大学の教授で、息子さん、娘さん(由佳)が普通にトレーニングしていましたね。室伏さんだけでなく、ジムにいるのは陸上を含めオリンピックに出るような選手ばかり。ぼくがトレーニングしていると、そうした方々が、最初は負荷をかけなくていいから正しいフォームでやればいいなど、色々と教えてくれるんです。目の前にいい見本があるから見るだけで勉強になりますよね」

 

 この当時、サッカー界では筋肉をつけることは、身体が重くなり“キレ”が失われるという考えがあった。

 

「確かに単純に筋肉をつけすぎると重くなる。ぼくも胸筋をつけすぎたことがありました。当たりに強くなるために筋肉をつけましたが、身体が重くなり、肩周りも硬くなってしまった。そこでぼくは少し筋肉をそぎ落としながら(関節の)可動域を広げることを強く意識していきました。その数年後に(野球の)イチロー選手たちがトレーニングしていると話題になった“初動負荷”に近いかもしれません。当時(中京大学のアスリートには)それらの知識がある人もいて、彼らと相談しながらサッカー選手に必要なコア(インナーマッスル)トレーニングとスピードと俊敏性を保つ為、肉をつけるより筋出力を高めるパワートレーニングに比重を多くしていきました。ジムでのトレーニング自体は大学一、二年生の時もしていましたが、四年生のときが一番授業の空き時間があり、多くの時間を注ぐことができました」

 

 国外のサッカーの試合を観ていると、小柄であっても、当たり負けしない選手がいる。彼らは育成段階からこうしたトレーニングを積んできたのだろうと思った。

 

 大学4年生になってからの公式戦には、ジェフのスカウトがほぼ毎試合、姿を現した。その視線を感じながら、楽山はピッチを必死で走り回った。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com

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