Jリーグは開幕から30周年を迎えた5月15日に「J30ベストアウォーズ」を開催し、30年間のMVPにジュビロ磐田でプレーする遠藤保仁を選出した。ファン・サポーター投票をもとに、選考委員会が決定している。

 

 文句なしの“オールタイムMVP”だ。

 

 鹿児島実業から1998年、横浜フリューゲルスに入団して以来、Jリーグ一筋でキャリアを積み上げてきた。J1では歴代最多となる672出場を誇り、J2を合わせれば今季の第16節終了時点で768試合に出場。2019年8月には前人未踏の公式戦1000試合出場(日本代表戦を含む)を既に達成しているが、天皇杯、YBCルヴァンカップ、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)などを含めたJリーグ所属クラブ(フリューゲルス、京都サンガ、ガンバ大阪、ジュビロ)での公式戦だけでも1000試合に迫っている。J1、天皇杯、ルヴァンカップ、そしてACLとすべてのタイトルを獲得し、3冠を達成した2014年にはJリーグMVPを受賞。12度のベストイレブン選出も歴代最多である。日本代表として世界の舞台でも活躍した功績は非常に大きい。

 

 日本を飛び越えてJクラブのポテンシャルを示した功労者でもある。

 

 彼がその実力をまざまざと見せつけたのが2008年シーズンだった。西野朗監督が率い、遠藤がチームの中心として引っ張るガンバ大阪はACLにおいてグループリーグから決勝戦までアウェー全勝という離れ業で前年の浦和レッズに続いてACL制覇を果たしたのだ。

 

 遠藤に話を聞いた際、彼の印象に強く残っていたのがアル・カラーマ(シリア)との準々決勝だという。アウェーでの第1戦では前半早々に失点を許しながらも、後半にチームは2ゴールを挙げて逆転勝ちを収めている。

 

「普通、アウェーの戦いになると相手も勢いづくし、押し込まれて我慢しようみたいな展開になりがちだとは思うんですよ。でもあの試合はピッチもボコボコでしたけど、日本でやっているように平気でボールを回した。支配して、落ち着いて勝ち切った。これって力のあるチームじゃないとできない。どこに行っても自分たちのスタイルを貫こう、みたいな手応えを得ることができました」

 

 ホームだろうが、アウェーだろうが場所、環境は関係なく、やりたいサッカーで勝ち切る。それを体現したのがあの時代のガンバであり、ピッチ上で指揮していたのが遠藤であった。準決勝の浦和レッズ戦では遠藤自身ホーム、アウェーともにゴールを挙げ、決勝のアデレード・ユナイテッド(オーストラリア)戦でも先のホーム戦で見事なコントロールショットを決めている。2戦合計5-0と圧勝での戴冠はアジアに衝撃をもたらした。

 

「アデレードは準々決勝の(鹿島)アントラーズ戦の映像を見ていたので、相当やるだろうなとは思っていました。でも一方で普通にやれば勝てるでしょ、みたいな自信もありましたね。その年のACLのアウェーで全部勝っていたから決勝もホームで先に勝っちゃえば大丈夫かなとは思っていましたね」

 

 ストーリーはここで終わらなかった。

 

 ACL覇者として臨んだ日本開催のクラブワールドカップ(CWC)。準決勝はクリスティアーノ・ロナウド、ウェイン・ルーニーらを擁するスター集団のマンチェスター・ユナイテッドが相手だった。1-5で終盤を迎えながらも、2点を奪って何とか意地を示した。試合後、名将アレックス・ファーガソンから「エンドーのパスは素晴らしい」と称賛されたエピソードはあまりに有名だ。

 

「5点入れられるまでの過程は、正直好きじゃないです。勝負が決した後に2点取っただけで、やっぱり力の差を感じましたよ。ただ試合をやっていて楽しかったし、ガンバらしいゲームだったかなとは思います。僕も強い相手とは代表でやっていたし、普通にやれているなとも感じました」

 

 完敗したとはいえ、消極的になることなく自分たちのスタイルをぶつけたことに意味があった。アジアでの強い勝ち方と世界での強い意志は、遠藤本人やガンバのみならず、Jリーグ全体の財産にもなった。

 

 43歳になった今もなお、遠藤は極上のパスとテクニックで“違い”を見せつけている。表現するならミスターJリーグ。遠藤保仁こそ、その名にふさわしい。


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