第194回 これまでの30年とこれから30年

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 今年の5月15日でJリーグは丸30年を迎えました。開幕節(1993年5月16日、対名古屋グランパス戦@カシマスタジアム)、先発でプレーした僕としても感慨深いものがあります。今回は“これまでの30年”と“これからの30年”を語ります。

 

 背中を押してくれた妻に感謝

 

 これまでの30年、Jリーグやサッカー代表の成長は「順調」と言ってもいいのではないでしょうか。ワールドカップ(W杯)出場は夢のような話だったのが、1998年フランス大会から直近のカタール大会まで7回連続出場を果たしています。

 

 Jリーグ発足当時、プロ契約に切りかえる選手、社員契約のままプレーする選手と選択は人それぞれでした。“Jリーグとはどんなものか”と未知なこともたくさんありましたし、「引退後は社員として親会社に残りたい」と思う人もいました。この代表格は現在、サッカー協会の反町康治技術委員長でしょうか。当時は「サラリーマンJリーガー」と呼ばれていました。これは個人の選択の自由だったので、どっちが良いとか悪いとかはありません。

 

 契約の選択を迫られた当時、既に僕は結婚し、家庭がありました。妻に「大学に行ったつもりで、金額はいくらでもいいからプロという世界を見てみたい」と伝えた記憶があります。快く了承してくれた妻には今でも感謝しています。あそこでプロを選択していたから、こうしてサッカーの仕事にも携われているのかなぁと思います。一方で、社員として住友金属に残っていたら、今も溶接作業をしていたかもしれなし、そこで習得した技術を生かして工事現場にいたかもしれません。それもそれで僕には似合っていたのかなと思います。

 

 「これからの30年」を考えることも大切です。指導者として日本以外のアジアの国に赴き、帰国した人たちの受け皿をつくることは重要なのでは? と個人的には感じます。

 

 日本サッカー協会は「日本代表の強化のためにはアジア全体のレベルアップが必要」という考えのもと、日本人指導者には積極的にアジアに出ることをすすめています。しかし、いざアジアに行き、経験を積んだものの帰国して日本での働き場所を探すのに四苦八苦している指導者がいるようです。せっかく異国の地で得た経験値を日本サッカーの現場で生かしてほしい。生かせる場所を創ることは「これからの30年」で避けられない課題です。

 

 イニエスタの種まきを無駄にするな

 

 ヴィッセル神戸のMFアンドレス・イニエスタが今夏での退団を発表しました。退団理由は出場機会の確保のようです。今季、神戸は首位を走っていますが、戦い方はポゼッション志向ではなくなっています。そのため、イニエスタの出場機会は減っていました。約5年、イニエスタは世界レベルの技術をたくさん披露してくれました。一緒にプレーした神戸の選手たちは貴重な経験ができたと思います。ただ、イニエスタがどこまで経験を言葉にして日本人選手に伝えてくれたのか、僕にはわかりかねる部分があります。個人的にはもっとチームメイトに「超一流としての在り方」的なことをインパクトに残るように、口酸っぱく指導してもよかったのかな? なんてよぎったりもします。しかしながら、一緒にプレーした日本人選手たちの今後のサッカーに対する姿勢でイニエスタ獲得の成否がわかる気がします。

 

 ともに過ごした選手たちは、超一流が超一流である所以を間近で見聞きしたはずです。日々の過ごし方(食事や睡眠)、練習に挑む姿勢、試合に入るためのルーティン……。ベストを尽くすために、スペインの”クラッキ”はどんなことに細心の注意を払い、何に徹底的にこだわっていたか。思い起こせば、ジーコは心を鬼にして僕らに食事、睡眠、ホテルでの過ごし方、試合へのアプローチ、さまざまなことを指導してくれました。神戸の選手はイニエスタのそれらを聞いて、見て盗んだはず。神戸にいる選手たちの今後の振る舞いで、「イニエスタ効果」をはかれると思います。

 

 イニエスタのパスの出しどころ、スラロームドリブルなども凄かったですが、やっぱりシンプルな「止めて蹴る」のレベルが段違いでした。次のプレーにスムーズに移行できる位置に止める。そして蹴る。それも、受け手の足元にピタリと。イニエスタには「Jリーグでプレーしてくれて本当にありがとうございました」と伝えたいです。新しい移籍先での活躍を期待しています。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。

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