プロ入り17年目、35歳にして200勝を達成した広島・北別府学は、今世紀最後の「名球会投手」といわれている。バッターは春先からでもピッチングマシーン相手に打ち込みができ、しかもバットやボールの材質良化がアドバンテージをもたらしてくれるのに対し、ピッチャーは相もかわらず己の利き腕一本で、18.44メートル向こうの敵に身を削るような勝負を挑み続けなければならない。マウンドは孤独である。だが孤独は時に独創を生み、思索を深めさせる。絶えざる挑戦と自問を経て、プロ17年生の北別府学がたどりついたピッチングの境地とは――。

 

<この原稿は『勝ち方の美学』(講談社 二宮清純著)に掲載されています。取材は1992年秋に行いました>

 

二宮清純: 北別府さんといえば「日本で一番コントロールのいい投手」というふうに認識しています。キャッチャーの達川(光雄・元広島)さんは「ボールの縫い目一つで勝負する投手だ」と、かつて私に語ってくれたことがあります。

北別府学: まあ、達川さんは大ゲサにいうたんでしょうけど、常にボールの半分か、半分の半分くらいで勝負しています。若い頃はベースを半分に割って、内角か外角かという発想の勝負をしていたんですけど、次第にボールの威力が落ちてきたもんですからね。

 

二宮 : 入団3年目に初めて10勝(7敗)をあげ、7年目に20勝(8敗)投手となる。そして11年目に18勝4敗の好成績でMVPに輝くわけですが、スピードに反比例するように、徐々にスライダー、シュートの切れとコントロールが増している。どのボールが200勝に結びついたと思いますか?

北別府: インスラでしょうね。右打者のインコースへのスライダーという意味です。これは東尾(修・元西武)さんが使っていたボールなんですが、シュートとセットで使うと打者は対応できなくなります。というのはシュートを投げる投手がインコースのストライクゾーンぎりぎりにこれを投げると、打者はどうしても“シュートだから内へ入ってきてボールになる”と早合点して、早めに目を切ってくれるんです。だから、バットの芯をはずせます。

 

二宮 : ほう。そのインスラは何年くらい前から投げているんですか?

北別府: 西武と日本シリーズをやった頃からですから、7、8年前ですね。

 

二宮 : インコースのストライクゾーンぎりぎりから内にくるか外にくるか。いずれにしてもインコースのラインが北別府さんの生命線ということになる。

北別府: そうですね。僕の調子を見極めようと思えば、シュートが多いか少ないかで大体は掴めます。それともう一つの武器が緩いカーブ。これが縦にフワッと抜けている時は、フォームのタイミングがベストに近い。

 

二宮 : 失礼ながら北別府さんのカーブは、ウィニング・ショットというよりも、チェンジ・アップに近い。

北別府: いやいや、あれはあれで目一杯投げているんですけどね。調子が悪い時にはカーブが横割れするんです。これは体の開きが早く、しかも突っ込んでいる時に起きる現象で、それを見て、試合中でも自分のフォームをチェックすることができる。若い頃、カーブが縦に落ちる時にはほとんど完投していましたから。

 

二宮 : あの緩いカーブは実はリトマス試験紙の役割をしているんですね。北別府さんはその反応をうかがいながらフォームをチェックしている。若いピッチャーからは絶対に聞けない話です。

北別府: 今の若いピッチャーは、僕のように左右ではなく、上下で勝負するでしょう。近鉄の野茂(英雄)や横浜の佐々木(主浩)がその典型で、ストレートとフォークボールを中心にピッチングを組み立てる。若くてボールに勢いのあるうちはこれでいいと思うんです。

 ところが、2年経ち、3年経って速いボールが投げられなくなれば悩むだろうし、また新しいボールを覚えなくちゃならなくなる。そのときに時間がかかってしまったらどうしようもない。

 

二宮 : つまり、ホームベースの幅約43センチは目一杯使うべきだと。縦の変化で勝負するタイプより、北別府さんのように横の変化で勝負するタイプの方が奥が深いというわけですね。

北別府: いえいえ、使うのはホームベースの43センチだけじゃありません。バッターボックスの白線のラインから、反対側の白線のラインまでをいかに使うか。これが僕のピッチングのテーマです。

 

二宮 : それはボールゾーンも有効に使うという意味ですか?

北別府: バッターボックスの白線のラインからホームベースの端まで、ボール一個半もありませんが、ここを有効に使わない手はないでしょう。ここのボール球を打者に対してはすごく近くに見せ、外角いっぱいのストライクを遠くに見せる。

 要するに打者に目の錯覚を起こさせなければならない。僕みたいに真っすぐが130キロそこそこしかなくても、遠近感さえ狂わせてしまえば、バッターはクリーンヒットすることができないわけです。

 

二宮 : 今の話を私なりに解釈しますと、二流の投手はホームベースの幅43センチを満足に使えない。ところが一流はこの43センチのスペースを自在に使うことができる。さらに超一流となると、ホームベースの端からバッターボックスのラインまでのボール一個半さえ利用することができる……。

北別府: そうですね。さらにいえば、本当に調子のいい時は、そのボール一個半を(ストライクに見せて)振らせることができる。達川さんじゃないけど、縫い目一つベースからはずれているようなボールは、バッターも振りますよ。

 

二宮 : よく、テレビの解説者が「今のはボール一個はずれていた」「ボール半個なかに入っていた」などといいます。実際、コントロールの誤差はどの程度にまで抑えられるものですか?

北別府: 狙ったところからボール半分、外にはずれる。それは許せるんですよ。ところが狙ったところから二個入ってくるようなボールが練習中にあると、僕は悩んでしまう。自分が許せない。実際には1センチから2センチの間のコントロールで勝負しているはずです。

 

(後編につづく)


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