前期シーズンも残り10試合をきりました。優勝が近づき、選手たちのレベルが上がっていることを実感します。開幕当初はボール先行で四球連発だった若い投手が、ストライクが取れるようになってきました。天野浩一松尾晃雅ら主力ピッチャーだけでなく、新しい力が出てきたことが首位を走る要因でしょう。

 中でも今季から入団した松本健太(横浜金港クラブ出身)の初勝利は感慨深いものがありました。12日の高知戦、マジック点灯がかかった大事な試合で初先発初勝利。なぜ、ここまで結果を出すのに時間がかかったのか。実は松本はある“症状”に悩まされていました。
 
 それは“イップス”です。四国に来て、ボールが思ったところに投げられない状況が続いていました。本人がいくらキャッチャーミット目がけて投げようと思っても、地面にボールを叩きつけてしまう。「投げるのが怖い」。そんな精神状態に陥っていました。

 本当のことを言うと僕も現役時代、イップスに悩んでいました。症状が出始めたのは入団6年目。肩やひじの痛みに加え、結果を残さなくてはという緊張感もあって、まともに投げられなくなってしまったのです。ひどいときにはウォーミングアップのキャッチボールでさえ、相手のグラブにきちんと届かないこともありました。

 それでも中継ぎですから、ブルペンには入らなくてはいけません。当時の野村克也監督は四球を非常に嫌がる方でしたし、周囲からも「プロなんだからストライクはちゃんと投げて当たり前だろ?」という目で見られます。誰か、この苦しみをわかってほしい。そう思いながらも結局、誰にも相談できないままユニホームを脱ぎました。

 だから松本の投げたくても投げられない気持ちは良くわかります。イップスを克服するには、まず恐怖心を取り除くこと。小さい子にボールを渡して「こっちに投げて」と言えば、何も考えなくてもその方向に投げることができます。余計なことを思わなければ、人間にはもともとコントロールをつけて投げる能力は備わっているのです。

 ですから松本には、とにかく「ボールは狙い通り投げられるんだ」というイメージを頭に描いてもらうように心がけました。恐怖心がなくなれば、あとはフォームの調整です。僕もそうでしたが、イップスにかかっている選手は自分の投げ方を完全に見失っています。足の出し方、腕の振り方……基本をもう1度おさらいしました。本人は試合に出られず、つらい日々だったと思います。でも、その時期を耐えたおかげでマウンドに立ち、結果を残すことができました。もちろん、彼にとってはこれからが本当のスタート。松本の一層の頑張りに期待しましょう。

 金子圭太(横浜国立大出身)、岡本健太(柳ヶ浦高中退)の2人のルーキーも、まずまずの結果を残しています。金子にはストレートのスピードがありますし、基本的な制球力は持ち合わせています。ただ、ボールに指がかかりきらず、高めに浮くボールが多いことも事実です。本音を言えば、しっかり指先に力が伝わるフォームに調整していく必要があります。ただ、無理に変えて持ち味を消したくはありません。さしあたり、結果が出ている間は彼のスタイルを尊重しようと考えています。

 岡本に関してはまだ17歳。体幹をもっと鍛えなくてはならない段階です。ストレートがセールスポイントとはいえ、スピードは130キロ台前半。スナップがきかず、チェンジアップのようになったボールで結果的にタイミングをうまく外しているだけです。結果オーライが長く続くことはありません。投手としては強気で、いい素質を持っています。いずれは先発のチャンスを与えたい投手ですから、今はイチにもニにも体力強化が必要です。

 前期シーズンは大詰めを迎えていますが、本当の勝負はこれから。夏場に入れば、各球団のスカウトが続々チェックにやってきます。夏に調子が落ちていく人間はプロではやっていけません。選手たちの調子がどんどん上がっていくよう、僕もサポートに努めていくつもりです。

松本健太(まつもと・けんた)
 1985年5月1日、神奈川県出身。右投右打。横浜市立南高から明治学院大、横浜金港クラブを経て、今季から香川へ入団。初登板は5月中旬と時間がかかったが、12日の高知戦で初先発初勝利を飾った。直球とスライダーが武器。

金子圭太(かねこ・けいた)
 1983年10月31日、東京都出身。右投右打。都国分寺高を経て、横浜国大からアイランドリーグへ。北信越BCリーグのトライアウトにも合格していた。5月26日の徳島戦で先発し、初勝利をあげた。

岡本健太(おかもと・けんた)
 1989年12月3日、大阪府出身。右投右打。柳ヶ浦高を中退して3月に史上最年少(17歳2ヶ月)で香川に入団した。強気な投球が持ち味で、ここまで12試合に登板して防御率0.58の成績を残している。

加藤博人(かとう・ひろと)プロフィール>:香川オリーブガイナーズコーチ
 1969年4月29日、千葉県出身。87年ドラフト外で八千代松陰高からヤクルトに入団。2年目の89年に6勝9敗、防御率2.83(リーグ8位)の成績を挙げて一軍に定着。故障で戦列を離れた年もあったが、貴重な中継ぎサウスポーとして95年、97年のチームの日本一に貢献した。分かっていても打てないと評された大きく曲がり落ちるカーブが武器。01年に近鉄に移籍後、02年には台湾でもプレーした。日本球界での通算成績は27勝38敗、防御率3.85。05年にスタートした四国アイランドリーグで香川のコーチに就任。現役時代に当時の野村克也監督から学んだ“野村ノート”や自らの故障経験を活かした丁寧な指導で高い評価を受けている。

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