昔から、大男を揶揄することわざは、山のようにある。

 

 

「馬鹿の大足」

「うどの大木」

「大男総身に知恵が回りかね」

「大男の見掛け倒し」

 

 その一方で、小男には、比較的好意的なものが多い。

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」

「小人に鈍なし」

 

 中には「小男の総身の知恵も知れたもの」というネガティブなものもあるが、これは「大男総身に――」の意趣返しバージョンだろう。

 

 さてスポーツ界で、最も成功した大男と言えば、24年前に他界したプロレスのジャイアント馬場にとどめを刺す。

 

 身長209センチ、体重145キロ。ニックネームは“東洋の巨人”だった。

 

 得意技は16文キック。16文と言えば38・4センチだ。だが本人は自著で<オレの足の大きさがほんとうに十六文かというと、これがオレにはよくわからないんです。オレの片足あげてのカウンター・キックが、いつごろから十六文キックと呼ばれるようになったのかも、オレ自身、はっきりしません>(『たまにはオレもエンターテイナー』かんき出版>と述べている。

 

 馬場には“大足”ゆえの苦い記憶があった。少年時代からプロ野球選手を夢見ていたが、生まれ故郷の新潟では、自らの足に合うスパイクシューズが手に入らなかったのだ。

 

 ところが、野球を諦めかけていたある日、進学した三条実業高(現・三条商業高)の野球部長から「オレがスパイクをつくってやるから、おまえ野球をやれ」と声がかかり、晴れて部員になることができたというのである。

 

 高校を2年で中退し、投手として巨人に入団した馬場だが、プロでも大男ゆえの偏見に悩まされた。

 

「バントを転がされたら大体セーフ。馬場の両サイドを狙って仕掛けてくるチームもありましたよ」

 

 これは当時の2軍監督・千葉茂の回想だが、要するに鈍いというわけだ。しかし、プロレスラーになってからの馬場の動きを見ていると、決してそうは思えなかった。

 

 投内連係などのチームプレーに馬場がついていけなかったのは、雪深い新潟の地で高度な野球を経験していなかったからだろう。まごついていると「そこのデカいの!」と、ののしられた。怒られて身を縮めていると「体は大きいのに気は小さい」と陰口を叩かれた。

 

 図らずも足を踏み入れたプロレスの世界では、異形性こそは最大の個性と見なされる。馬場は紆余曲折を経て天職に巡り合ったのだ。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2023年6月23日号に掲載された原稿です>

 


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