経済誌が「日本の名経営者」なる特集を組み、アンケートを取ると松下幸之助や稲盛和夫と並んで必ず上位にランクインするのがホンダ創業者の本田宗一郎である。

 

 そのエネルギッシュな仕事ぶり、自らを「町工場のオヤジ」と称する庶民性、引き際の恬淡さも好感されているようだ。

 

 自分に厳しい宗一郎は部下にも妥協や甘えを許さなかった。「無理です」とでも言おうものなら、「やってみもせんで、何がわかる!」とカミナリが落ちた。

 

 浜松の町工場から世界のホンダへ――。宗一郎をして「夢が実現した」と言わしめたのが、戦後間もない1949年8月に世に送り出した自社開発のバイク「ドリームD型」である。

 

 宗一郎の薫陶を受けた河島喜好(後の本田技研工業社長)によると、宗一郎が「世界一」という言葉を口にするようになったのは、同郷の古橋廣之進が競泳の全米選手権で世界新記録(1500メートル自由形)を樹立してからだという。「『日本人はアメリカに戦争で負けて、すっかり自信をなくしてる。けど古橋廣之進は裸一貫頑張った。古橋が遠州人なら、おれだって遠州人だ、やらまいか!』と、こうなったわけ」(ホンダHP「語り継ぎたいこと~チャレンジの50年~」)

 

 近年、スポーツの力、という言葉を、そこここで見聞きする。数値化も可視化もできないため、漠たる思いにとらわれるが、要は人間の持つ根源的な力であるインナーパワーをどう引き出すか。敢えて言語化すれば「精神浮揚効果」か。

 

 当の私は毎朝、大谷翔平からエネルギーをもらっている。「彼はリトルリーグでやっていたことが、こういう大きな舞台でも実現できる。ユニコーンのような存在だ」。今春のWBCで日本が米国を破って優勝した際のマーク・デローサ監督の言葉だ。

 

 ユニコーンとは一角獣とも呼ばれる架空の動物のことで、唯一無二を意味する。ビジネスの世界でよく用いられる言葉で、評価額が10億ドル(約1400億円)以上の、主に非上場のスタートアップ企業を指す。

 

 日本にユニコーン企業が少ない理由として、外国人投資家がよく口にするのが日本特有の“上場ゴール”である。上場自体がゴールになっていて、さらなる成長を目指さない。その文脈で言えば“入学ゴール”や“入社ゴール”も、この国特有の宿痾(しゅくあ)なのだろう。

 

 そんな中でのデローサ発言は、日本人には心地よいものだった。74年前、宗一郎が古橋の快挙に触発され、「おれだって、やらまいか!」と“やる気スイッチ”が入ったように、次から次へと不可能を可能に変えていく大谷の雄姿をリアルタイムで見つめている今の10代、20代は、“失われた30年”を無為にやり過ごした我々世代のモノサシでは測ることのできない価値観を獲得しつつあるのではないか。そこに期待しながら、海の向こうの球宴に目を凝らしたい。

 

<この原稿は23年7月12日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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