メジャーリーグで申告敬遠制度が導入されたのは2017年からだ。試合時間の短縮が最大の目的だった。日本のプロ野球も1年遅れの18年、同じ制度を導入した。

 

 

<この原稿は2023年8月14日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

 さる7月19日(日本時間20日)に行われたホームでのヤンキース戦、エンゼルスの大谷翔平は4四球と勝負を避けられた。このうちのひとつが6回の申告敬遠だった。

 

 申告敬遠はエンゼルスが6対2とリードし、1死二塁と追加点が狙える場面。大谷の一発を期待するファンからは、いっせいにブーイングが巻き起こった。

 

 主に大谷の後を任されていたマイク・トラウトが、7月3日(日本時間4日)のパドレス戦で左手の有鉤骨を骨折。相棒を失った大谷が歩かされるのは、チームにとっては“想定の範囲内”だったろう。

 

 思い出されるのは21年のシーズンだ。大谷は前半戦だけで33本のホームランを放ちながら、右ふくらはぎの負傷によりトラウトが戦列を離脱した後半、歩かされるケースが増え、惜しくも2本差でホームラン王のタイトルを逃した。その二の舞にならなければいいが……。

 

 申告敬遠制度が導入されてから米国は6年、日本は5年たつが、未だに馴染めない。というより味気ない。

 

 4球続けてボールを投げるピッチャーは、どんな気分なのか。バッターは、どんな表情を浮かべるのか。それを推察するのも野球のだいご味のひとつだからである。

 

 中には敬遠しようと投じた外角のボール球に飛びつき、サヨナラヒットを放った新庄剛志(当時阪神)のようなツワモノもいる。それを目のあたりにした観客は、野球の意外性を堪能したに違いない。

 

 しかし、千両役者という意味では、誰もこの人にはかなうまい。今から55年前の1968年5月11日、中日球場での中日戦で巨人・長嶋茂雄は敬遠四球に抗うため、2ボールナッシングからの3球目、素手で構えたのだ。ミスターらしい“無言の抗議”だった。

 


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