第259回「サッカーメモを取り続けた日々」~楽山孝志Vol.12~

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 楽山孝志にとってプロ1年目、2003年セのカンドステージでベンチ入りしたのは、第7節9月23日の浦和レッズ戦のみ。この試合で出場機会は訪れなかった。シーズンを通して、リーグ戦1試合、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)2試合、天皇杯2試合出場に留まった。

 

 所属するジェフユナイテッド市原は、セカンドステージで7勝5分3敗で2位、年間で3位。イビチャ・オシムは1年目から好成績を残したことになる。

 

 このサラエボ出身の指揮官から楽山は多いに刺激を受けた。

 

 オシムはシーズン中、水曜日に練習試合を組んだ。週末にJリーグの試合が行われるため、その中間の日に当たる。

 

「オシムさんは、日本が今のような(週1回の試合という)やり方をしている限り、世界のトップに行けないと言っていました。リーグ戦の他、ナビスコカップや天皇杯もあるけれど、敗退すればそこで終わり。一方、ヨーロッパだとリーグ戦、カップ戦の他、トップのクラブになると欧州のリーグ戦、代表戦が加わる。年間70から80試合になる」

 

 2003年シーズン、ジェフユナイテッド市原の公式試合は38試合。高い水準、緊張感の中で試合を重ね、選手の能力は研ぎ澄まされる。シーズンを戦ううちに基礎体力も増していくことだろう。世界のトップ選手との差は開いていくばかりだというオシムの言葉に楽山はその通りだと頷いた。

 

 水曜日に行われる練習試合は必ず“対外試合”だったという。

 

 オシムの先見の明

 

「(自チーム内の)紅白戦では、相手の選手の特徴と癖、スタイルが分かっている。そんな中で試合をしても試合における対応力が高まらないというのがオシムさんの考えでした。オシムさんのトレーニングは、局面毎にグループ、そして全体としてどのようなサッカーをするのかという共通認識と大枠を作り、選手が試合の全体像を頭の中で描けるようにトレーニングを行います。その上で、対戦相手に合わせて微調整していく。だから、紅白戦では効果が少ないと。練習でやったことを、情報がない相手との水曜日の練習試合という実戦で反復する」

 

 また、手でしかボールを扱えないゴールキーパーは淘汰されるといったことも、強く印象に残っている。

 

「フィールドプレーヤーの練習の中にキーパーが入ってトレーニングしていました。欧州のクラブなどでキーパーがビルドアップに参加するようになったのは、それからだいぶ後になってから」

 

 現在、ドイツ代表のマヌエル・ノイアーのように、フィールドプレーヤーの球回しに参加し、攻撃の拠点となるゴールキーパーが世界標準である。

 

 ノイアーがドイツのシャルケ04でデビューしたのは、2006年。そして2010―11年シーズン、シャルケはチャンピオンズリーグでベスト4に入り、ノイアーは新世代のゴールキーパーとして注目を集めることになった。オシムはその前からノイアーのようなキーパーの出現を見通していたのだ。

 

 楽山は練習熱心な男である。日々、練習が終わった後にメモをとった。そのメモが自分の糧になると感じていた。

 

「ボールを持っていない選手、ボールフォルダー以外の選手がどのような動きをすれば、相手の選手が引きつけられてスペースができるのか。そこをどのように使うのか。オシムさんの練習はそうした考えながら動く要素が多く含まれていた」

 

 それまで自分がボールを保持していないときにどう関わるかという指導をそこまで細かく受けたことがなかった。もし自分が子どもの頃にこうした教えがあったらどうだったろうという思いが一瞬、頭をかすめた。今、やるべきことはこのサッカーを自分の身体に叩き込むことだった。

 

 ブラボーが貰えるかどうか

 

 2004年シーズン前のキャンプはトルコで行われた。

「前年、韓国でのキャンプで雪が降ったんです。オシムさんがなぜこんな寒いところでキャンプをやるんだって怒ったと聞いています」

 

 ヨーロッパとアジアの間に位置するトルコは広い。場所によって気候がかなり違う。南部の地中海沿岸は、冬でも温暖な気候で、近隣国のクラブチームのキャンプ地として使用されていた。

 

 クロアチアやユーゴスラビアの強豪クラブとの練習試合をしたとき、オシムからしつこく言われ続けてきたことが納得できた。

 

「世界のトップは気が狂うほど走っているぞって言われていたんです。クロアチアザグレブ、パルチザンと対戦したとき、本当にそうだと思いました。彼らはカウンターになったとき、矢が打ち放たれたように、パンって、ものすごい速度で(相手ゴールに向けて)飛び出してくる。それで相手ボールになったら、凄い勢いで奪い返しにくる、奪えなければブロックを作る為に一気に戻る。これがヨーロッパでは普通。オシムさんが我々に求めているのはこれなんだと」

 

  練習中はオシムの視線を意識するようになった。

 

「例えば、2対1でトレーニングしているとします。オシムさんは(2人の側の選手に対して)どのタイミングでパスを出せということは言わない。ただ、いいタイミングだったら、“ブラボー”が出る」

 

 全て「ブラボー」という言葉で完結するんです、と当時を思い出したのか、にこりと笑った。

 

「フリーランニングしてブラボーを貰えたら、それがオシムさんの求めるタイミング。どこにどのタイミングで走ったらブラボーが貰えるのか、ぼくらは探すんです」

 

“ブラボー”という単語で、オシムは選手たちに判断基準を提示し、意識統一を図っていったのだ。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com

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