第260回「サッカーが楽しくて仕方ない」~楽山孝志Vol.13~

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 楽山はプロ1年目、出場6試合で終わった2003年シーズンについて、監督であるイビチャ・オシムが求めるサッカー、ウイングバックというこれまでやったことのなかったポジションを任されたことに戸惑ったと振り返る。

 

 オシムのサッカーにおけるウイングバックは独特だった。

 

 ウイングバックとは守備が多く要求されるポジションだ。隙があるときにウイングの役割となり前線へ上がって行く。オシムは基本的に、3―5―2というシステムを敷いた。ウイングバックはこの「5」に含まれる。つまり通常のウイングバックよりも攻撃的である。中盤で大きくサイドに張りだし、ライン際で長い距離の上下運動とサイドを崩しゴールに結ぶ決定的なシュートやクロスを求められる。この特性を鑑みれば、俊足、縦へのドリブルを得意とする選手が向いている。

 

 ジェフでは楽山の他、村井慎二、坂本將貴、山岸智、水野晃樹たちがこのポジションで起用された。ウイングバックらしい選手は村井と水野の2人のみ。楽山を含めた他の選手は、それぞれの持ち味を出すことを要求された。

 

「“3”のディフェンダーがボールを持つと、オシムさんは早めにウイングバックにつけろということが多かった。ウイングバックのポジションは中央に比べるとプレッシャーが弱く、ボールを落ち着かせることができる。そこで1つ攻撃の起点を作るというのがオシムさんのイメージであったかもしれません」

 

 ウイングバックがボールを持ったとき、どのような選択をするのかは、その選手によって変わってくる。

 

 パズルを組み合わせるように

 

「(連載の前号で触れたように)オシムさんは組み合わせとバランスを重視していました。個で突破できる村井君が左に入ると、(相手ゴールに近い)左サイドは必然的により攻撃的で高い位置となり、右側に入る坂本さんは守備でバランスをとるイメージ。坂本さんは守備のバランスを取る能力が高く、攻撃ではグループで崩していくタイプの選手」

 

 守備の対人能力が高くボランチとしてもボールを配給できる能力がある坂本を敢えてサイドに置くのがオシムのやり方だった。

 

「ポリバレントな選手をオシムさんは大事にしていました」

 

 ポリバレントとは、オシムが多用した単語で、複数のポジションをこなせることだ。

 

 選手の組み合わせによっては、結果として当時の日本の“常識”ではあり得ないシステムになることもあった。

 

「3のうち、リベロの(イリヤン・)ストヤノフが前へ行き、ウイングバックが高い位置を保つと、2バック気味になり。前線が5枚気味に配置され(マンチェスター・シティ監督、ペップ・)グアルディオラがビルドアップ時にやっているような立ち位置をあの時代に先取りしていたのかもしれません」

 

 選手というそれぞれ違った形をしたパズルを組み合わせているようだと楽山は思った。

 

 オシムからはどのようにプレーをしろという細かな指図を受けたことも、手本とする選手の名前を言われたこともない。

 

「選手に対するリスペクトだったのか、あの選手みたいにしろと言われたことは一切ないです。唯一、名前が出たのは(ジネディーヌ・)ジダン。ジダンは手でボールを扱うようにプレーするぞ、みたいな」

 

 自分がどのようにプレーするのか、何を求められているのか、日々の練習から推察するしかなかった。自分のプレーが正しかったのか、そうではなかったのか――その判断基準はやはり「ブラボー」である。

 

 トップとサテライトの融合

 

「オシムさんはトレーニングのときに2列目の選手に危険なランニング(相手DFラインの背後へ飛び出し相手を引きつける動き)をするように求めていました。トレーニングの中で、勇人(佐藤)や羽生(直剛)君が飛び出していく。そのときサイドの選手は相手DFが彼らに引きつけられたできたスペースを感じ、空いたスペースを使う。それが正しかったときはブラボーが出る」

 

 楽山はプロ2年目の2004年シーズン、3年目の2005年シーズン、それぞれ12試合(リーグ戦8)、8試合(リーグ戦1)の出場に限られている。もっと試合に出たいという気持ちはあったが、他のクラブに移籍して力を試してみたいと思うことはなかった。

 

「毎週水曜日の練習試合ではトップチームのウイングバックとトップ下の選手をサテライトと入れ替えて試合をすることがありました。サテライトで試合出場のある選手を起用して週末の試合に備えていたのだと思います。だからサテライトの選手もどのようなサッカーをするかという同じ絵を頭の中で描くことができる。トップとサテ(ライト)を融合することで選手層を厚くしていくというのがオシムさんの狙いだったと思います」

 

 この連載で触れたように、練習試合は紅白戦ではなく、かならず対外試合である。相手はアマチュア、大学生でもいい。相手の戦い方、選手の癖が分からない中で、サテライトの選手はトップチームに入って、どのようなプレーをしなければならないのか考えることになる。

 

 だからこそ、ジェフの控えの選手たちは、後半残り10分、15分で途中出場したとしても、自分がやるべき仕事を理解していた。誰が入ってもチーム全体の調和が崩れることが少ない。これが強みだった。

 

 あるとき、オシムが「他のクラブから選手を入れないことも補強の1つだ」と言ったことが印象に残っている。オシムの真意は分からない。もしかして資金力のないクラブへの自嘲だったかもしれない。安易に他のクラブの選手を入れるのではなく、自分のサッカーを体得した選手を増やしていくことが、チームの底あげに繋がるのだと楽山は前向きにとらえた。

 

 プロ1年目、楽山は周りの選手たちのスピードに戸惑うこともあった。スピードには物理的な動きの速さの他、思考の速さも含まれる。そのスピードに慣れ、オシムのサッカーをもっと吸収できるようになっていた。サッカーが楽しくて仕方がなかった。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com

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