第1120回 「止まっていた時計がやっと」高野進の言葉だから重みがある
1932年ロサンゼルス五輪(陸上男子200メートル、400メートルリレー、1600メートルリレー)に出場し、リレー2種目で5位入賞を果たした中島亥太郎は、30年から33年にかけて400メートルの日本記録を4回も更新している。
静岡県出身の中島から同郷の高野進に手紙が届いたのは92年バルセロナ五輪の直前である。この時、中島は81歳。手紙には「私は400メートルは嫌いです」と書かれてあった。
その話を高野が私に披露してくれたのは、バルセロナ五輪の男子400メートルで、日本人選手初のファイナリストになった直後だ。「中島さんの気持ちはわかる」と言い、こう続けた。
「最後の数㍍の苦しさといったら、絞り切った雑巾から、さらに一滴のしずくを絞り出そうとするようなもの」。比喩の巧みさに舌を巻かされたものだ。
付言すれば「ファイナリスト」という言葉を、世に知らしめたのも高野である。「あの言葉は、僕にとってはマスコミ戦略の一環でした。91年の東京での世界選手権に続き、92年のバルセロナ五輪。取材に来た人は必ず僕に聞いた。“メダルは獲れそうですか?”と。“いや、僕が目指しているのはファイナリストです”。そう答えるとマスコミも決勝に残る意義を考えざるを得なくなる。それが狙いでした」
言葉の値打ちは、「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」で決まる、という。その伝で言えば、以下は高野の言葉だからこそ重みがある。「止まっていた時計がやっと動き出した」――。
20日、ハンガリーのブダペストで行われている陸上の世界選手権男子400メートル予選で、日本の佐藤拳太郎が44秒77の日本新記録を打ち立てた。
これまでの日本記録は91年6月の日本選手権決勝で高野が樹立した44秒78。トラック種目最古の日本記録を32年ぶりに0秒01更新した。
アンタッチャブルと化していた自らの記録を破られた心境を、高野は21日付けの本紙で<いつか自分の記録が破られるだろうとは思っていて、破られた時にどう思うかを想像していた。今、凄くすっきりした心境で“やったな”という気持ちが強い>と述べている。
それにしても30歳の時に樹立した記録を、62歳になって破られるとは、高野自身、思ってもみなかっただろう。
高野が400メートルで初めて日本記録を樹立したのが82年5月。タイムは46秒51。これを含め10年間で10回も記録を更新してきた。高野の前の日本記録は46秒64。つまり高野は、ひとりで1秒86もタイムを縮めたことになる。
こと400メートルに限って言えば、高野は長きにわたり、ひとりで時計を動かしてきた。だが、自らの引退とともに時計は時を刻まなくなった。それを高野は誰よりも寂しく感じていたのではないか。世界との差を縮めるためにも、やっと動き出した時計の針を、再び止めてはならない。
<この原稿は23年8月23日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>