米英でアカデミー賞作曲賞を受賞した坂本龍一が世を去ったのは今年3月28日のことである。すぐに不世出の音楽家を偲ぶ追悼番組が各局で組まれ、茶の間には代表曲である映画『戦場のメリークリスマス』(1983年、日・英・豪・ニュージーランド)のメインテーマ「Merry Christmas,Mr.Lawrence」の静謐なメロディが流れた。

 

 大島渚監督からの“戦メリ”への出演依頼は、当初「俳優として」というものだった。坂本は「心の中では“はい”と叫んでいたけど、グッと我慢して無謀にも“音楽をやらせてくれるなら出ます”」と返した。「いいですよ」と大島。この息をのむようなやり取りを、坂本は大島への弔辞で明らかにしている。

 

 ラグビーの試合会場に坂本のミスターローレンスが流れた瞬間の機微を、20年経った今も元代表の伊藤剛臣は忘れることができない。

 

 2003年10月12日、ラグビーW杯豪州大会初戦を、日本は北東部の港湾都市タウンズビルで迎えた。相手はスコットランド。伊藤はNo.8としてスタメンに名を連ねた。

 

 格上のスコットランド相手に、日本は奮闘した。前半を6対15で終え、後半に望みを託した。試合前、監督の向井昭吾は次のプランを用意していた。「前半は手堅く試合を運び、後半にハーフ団を代え、一気に攻撃のリズムをつくる」

 

 その言葉通り、向井は後半11分、逆転の布石としてSH苑田右ニ、SOアンドリュー・ミラーを投入した。これが図に当たった。

 

 数分後、日本はミラーのラインブレイクからチャンスを掴み、ラインアウトからの連続攻撃でスコットランドの防御網を突き崩してみせたのである。

 

 インゴール左隅に飛び込んだのは独特のステップが持ち味のWTB小野澤宏時。11対15。日本贔屓のスタンドは最高潮に達した。

 

 振り返って伊藤は語る。

「トライを生んだラインアウト。あれ、僕が捕って突進したんですよ。日本はループプレーが得意だから。ミラー、元木(由記雄)とうまくつながりましたね」

 

 トライの直後、聞き覚えのあるメロディが不意に伊藤の耳を撫でた。それがミスターローレンスだったのである。「タラララーン、タラタラタラタラタララーン。名曲ですよね。実際のメロディよりアップテンポでしたが、これは心に沁みました。スタンドも盛り上がっている。なぜ日本のトライ直後に“戦メリ”が流れたのか今も謎なんですが、当時、アンダードッグだった僕たちが勇気付けられたのは紛れもない事実です」

 

 善戦及ばずスコットランドに敗れたものの、翌日の地元紙には日本の健闘を称える「ブレイブ・ブロッサムズ」という見出しが躍る。愛称の「チェリー・ブロッサムズ」をもじったものだ。一歩一歩ではあるが、日本ラグビーは夜明けに近付いていたのである。

 

 あれから20年。ブロッサムズはフランスでモンブランではなくエベレストを目指す。季節外れの満開の桜は見られるのか…。

 

<この原稿は23年8月16日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


◎バックナンバーはこちらから