阪神・岡田彰布監督 進化する「昭和野球」

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 13日、プロ野球のセ・リーグ阪神対巨人22回戦が兵庫・甲子園球場で行われ、阪神が4-0で勝利した。阪神は今季2度目の10連勝。これによりリーグ優勝へのマジックを1とした。早ければ14日に18年ぶり10度目のリーグ優勝(1リーグ時代も含む)が決まる。

 

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<この原稿は「週刊現代」2023年9月9・16日号に掲載されたものです>

 

「昔のやり方」が新しい

 

 第1次岡田政権1年目の’04年に早稲田大から阪神に入団し、’05年のリーグ優勝も含め、5シーズン岡田彰布監督(65歳)の下でプレーした鳥谷敬(42歳)が、「監督は何を根拠にそう言っているんだろう」と訝ったのは、4月13日、東京ドームでの対巨人3回戦の試合前である。

 

 テレビ解説者として挨拶に出向いた鳥谷に、昔のボスはポロッと言い放ったのだ。

「今日は渡邉諒でいくよ。アイツは打つやろ」

 

 渡邉諒(28歳)は’14年にドラフト1位で北海道日本ハムに入団したパンチ力が売りの右打ちの内野手。ストレートに滅法強いことから、名付けられたニックネームは”直球破壊王子”。キャリアハイは’19年で、132試合に出場し11本塁打、58打点をあげていた。

 しかしその後、徐々に出番が減り、昨オフ、江越大賀(30歳)、齋藤友貴哉(28歳)とのトレードで高濱祐仁(27歳)とともに阪神にやってきた。伝統の巨人・阪神戦での初スタメンが「3番サード」。不振の佐藤輝明(24歳)に代わっての大抜擢だった。

 

 しかも、と鳥谷。

「渡邉は7日に発熱し、一度、出場選手登録を抹消されていたんです。病み上がりで、あまり練習していないはず。その渡邉が4回、左腕の横川凱(23歳)のカットボールを左翼席に叩き込んだ。結果的にこれが決勝打となった。岡田監督の勝負勘には驚かされました」

 

 勝負勘とはいっても、ヤマカンの類いではない。岡田なりの根拠があったのだろう。

 鳥谷は「監督は、とにかく練習をよく見ているんです。バッターなら、前から見たり後ろから見たり、外野から見ていることも。気になった選手に対しては、最初から最後まで、じっと見ている。そうした中で“左投手なら打てるやろう”という判断に至ったんでしょう」と推察する。

 

 とはいえ、この手の大向こう受けするような采配は、そう多くない。今季の岡田采配の特徴は、シンプルかつオーソドックスで奇をてらわない。いや、それは昔からだ。岡田は昭和の香りのするクラシックな野球の守護神たろうとしているのではないか。言ってみれば、「三丁目の夕日」的な野球観だ。

 

 断っておくが私は虎党ではない。しかし岡田の野球は好きだ。時代に媚びないところがいい。阪神ファンで知られる有働由美子との対談で、岡田はこう語っている。

<いや、野球にもうそんな新しい戦法はないです。でもたとえば昔のやり方に戻した方がいいということはあるしね。例を挙げると、内野の中間守備。定位置と前進守備の中間で守ることですけど、ベンチが選手に責任をなすりつける指示ですよね。はっきり言うて。速い打球だったらゲッツー、遅い球ならホームってそんな一瞬で判断できるのかって。僕の現役時代にはなかった。こういうのを昔のやり方に戻すのだって、今の選手にしたら新しいことなんですよ>(文藝春秋2023年6月号)

 

 野球にもう新しい戦法はない―。自らの志向する野球に対する自信と、結果に対する覚悟がなければ、ここまでは言い切れまい。名門球団再建への決意が見てとれた。

 

原監督の「かまし」

 

 例年、開幕前に放映されるNHK『サンデースポーツ』の監督座談会は、その年のシーズンを占う上で貴重な材料を提供してくれる。

 

 たとえば’19年の同番組では、こんなやり取りがあった。’16年から’18年まで広島がリーグ3連覇を達成しており、4連覇に注目が集まっていた。セ・リーグ6球団の監督にキャスターは、こう問うた。

<「正直、○○と戦うのはイヤだ」。○○に球団名を入れてください>

 

 口火を切ったのは4年ぶりに巨人監督に復帰した原辰徳(65歳)だった。

「僕はないです!」

 

 毅然とした口調で言い切り、阪神・矢野燿大監督(54歳)に視線を向けた。

「4月から、こんなことで怯えてたら始まらないよね」

 機先を制された矢野は「はい!」と小声で頷くしかなかった。NHKのカメラは「広島」と書かれた矢野の札をしっかりととらえていた。

 

 プロ野球はタテ社会である。実績のある年長監督が色をなして話し始めると、異論を唱えるのは容易ではない。先手必勝。原の見事な先制攻撃だった。この年、巨人は5年ぶりのリーグ優勝を果たした。

 

 野球をやるのは選手、監督は関係ない―。そんな声をよく耳にする。しかし、事はそう単純ではない。

 

 以下はかつて阪神のレジェンド江夏豊(75歳)から聞いた話。入団1年目の’67年、球宴のメンバーに選出された江夏は、3試合全てに登板した。全セ・リーグの監督は巨人・川上哲治。すでに4回のリーグ優勝と日本一を達成しており、名将の風格を身にまといつつあった。

 

 事件は球宴明けの甲子園で起きた。「テツ!」。大声の主は、阪神を率いる藤本定義。巨人と阪神、両名門球団で指揮を執った、ただひとりの人物だ。

「あの川上さんを”テツ!”と呼びつけるとは、誰やねん?」

 19歳の江夏は、目をしばたたいた。

「次の瞬間、川上さんが昔の軍隊みたいにダーッと走ってきて、帽子をとって挨拶するわけよ」

 

 そこで藤本は川上を一喝した。

「オマエ、ウチの若いのを潰す気か!」

 

 川上は最敬礼したまま、一言も発することができなかった。

「あれで、おじいちゃんがすごい監督なんだとわかったよ。だって、若いオレがプロ野球の歴史なんて知るわけないやろう。でも、あれはおじいちゃんなりの駆け引きやったんやろうな」

 藤本のニックネームは“伊予の古狸”。あえて自軍の選手の前に川上を呼びつけ、自らの威厳を示したのである。

 

戦術家ではなく戦略家

 

 さて、今年の『サンデースポーツ』はどうだったか。監督座談会の主導権を握ったのは原より1学年上の岡田だった。話がドラフト1巡目ルーキーに及んだ時だ。

「クジでは(巨人に)負けたんですけど、よかったです、はっきり言って」

 阪神は浅野翔吾(18歳・高松商)を外し、森下翔太(23歳・中央大)を指名した。

 

「それは、なんとか惜しみじゃないですよね?」

 負け惜しみ、というわけだ。原がチャチャを入れても、岡田は動じず、「いやいや。本当に活躍して欲しいですね、両選手には」と答えた。

 

 ドラフトの成否は5年先、いや10年先を見なければわからない。しかし、それを置いても岡田は「森下でよかった」と思ったのだろう。

 岡田はウソがつけない。だが、それだけでは嫌味になる。最後の「両選手には」という返し方に岡田の”年の功”がにじんでいた。前哨戦は岡田の完勝だった。

 

「監督には2つのタイプがある。ひとつは戦術家、もうひとつが戦略家。岡田さんは、間違いなく後者です」

 

 そう話すのは元オリックス監督の森脇浩司(63歳)だ。’12年にはオリックス岡田監督の下、チーフコーチを務めた。

「戦い方は極めてシンプルで奇襲を仕掛けることは、ほとんどなかった。選手の適性を見抜き、あとは適材適所。たとえばピッチャー。岡田さんが監督に就任した’10年に平野佳寿と岸田護をリリーフに回し、救援陣を厚くした。

 といっても、独断でモノを決めることは一切なかった。コーチの意見に耳を貸し、話しやすい雰囲気をつくってくれた。今の阪神には、”落ち着き感”がある。あれはベンチがバタバタしていないからだと思います」

 

 岡田は「バタバタしない」ことに加え、選手をコロコロ替えない。今季は大山悠輔(28歳)をファースト、佐藤をサードに固定し、ショートの中野拓夢(27歳)をセカンドにコンバートした。ショートには守備重視で7試合目から木浪聖也(29歳)を固定した。

 

 ’98年、横浜を38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた権藤博(84歳)は、岡田の評論家時代の姿勢を高く評価する。

「ネット裏の高いところから見ていると、“オレなら、コイツをこう使う”というアイデアが浮かんでくるんです。ところが、球団の顔色を窺っているヤツは、口に出さない。でもね、彼は解説者時代から言いたいことをズバズバ言っていた。信念があるから言えるんです。

 選手にポジションを与えるということは“それだけの責任をちゃんと果たせよ”ということ。いわば監督の暗黙のメッセージ。たとえばサードを任された佐藤。もう“外野の守備で神経がすり減って打てません!”とは口が裂けても言えませんよ」

 

 昨季、阪神はリーグ最多の86失策を記録した。今季も68(8月29日時点)とリーグワーストだが、「目に見えないエラーは随分減ったと思います」とは、5度のゴールデングラブ賞に輝く鳥谷だ。

「中野のセカンドコンバートは岡田さんじゃなかったらできなかった。ショートを守っていると、彼は肩に不安があるから、エラーしたくない場面ではどうしても前に出てくる。それを岡田さんは上(放送席や記者席)から見ていた。守備の不安さえ取り除いてやれば、打撃がもっと生きてくると。

 大山のファースト固定も大ヒット。彼はグラブさばきが抜群にうまいんです。僕が阪神に入って2年目、広島からアンディ・シーツがやってきてファーストを守った。岡田さんのアイデアです。彼は元々がショートだから、ワンバウンドの送球も全部捕ってくれた。どれだけ助けられたことか。

 セカンドとショートを固定したことも大きい。岡田さんの方針”センターラインを中心にした守りの野球”が実現に近付いていると思います」

 

四球の査定を上げた

 

 ’05年の優勝メンバーのひとり桧山進次郎(54歳)も、ポジションの固定化を支持する。

「星野仙一さんが監督だった’03年、僕はファーストでスタートした。濱中治をライトで使うから”ヒー(桧山)はファーストや”と。ところが僕は肝心の打撃で全然、結果を出せなかった。

内野も外野も同じやろう、と言う人もいます。でも、全然違います。これまでは(ライトまで)走っていったのに、(ファーストは)”近っ!”という感じ。リズムが狂ってしまって、結局ベンチ要員に。ところが濱中がケガをして、ライトに逆戻り。それによってリズムも戻ってきました」

 

 打順についても「コロコロはよくない」と桧山は言う。

「たとえば1、2番は塁に出るのが仕事。3、4、5番、そして6番はランナーを還すのが仕事。それが今日は2番、明日は5番となると、しんどいんですよ。極端な話、生活リズムまで変わってしまいます。明日、何時に起き、何時に球場に行き、何回に最初に打席に立つ。そうしたルーティンを選手は逆算式に考える。これが崩れると、プレーにも悪影響を及ぼすんです」

 

 打撃成績に目を移すと、四球数の増加が目立つ。昨シーズンは358個でリーグ3位だったが、今シーズンは417個(8月29日時点)で目下、リーグトップだ。

 

 その背景には、岡田の独自の“四球観”がある。開幕前、岡田は球団にかけあった。それまで1ポイントだった四球の査定を1.2ポイントにしてくれ、と。

「ミーティングで(ポイントアップを)選手に言うたんですよ。競ってる時のフォアボールはヒットと一緒だからね。1ポイントが1.2ポイントになるだけで、あんなにフォアボールが増えるなんて……」(虎バン阪神応援チャンネルABCテレビ公式YouTube)

 

 岡田の四球重視策は今に始まったことではない。たとえば、外国人選手の選び方。自著『そら、そうよ』(’14年・宝島社)で<ボール球を振らないことが、日本で成功するいちばんの秘訣だ>と前置きしこう述べている。

<契約の仕方1つで働かせることが可能になる。簡単に言うと、四球にも出来高の契約を付けてやるのだ。外国人の野手と契約する際に、本塁打や安打、打点に出来高が付くのはもはや当たり前だが、日本の球団は四球については重要視してこなかった>

 岡田は現役時代から、選球眼に秀でた打者だった。21年ぶりのリーグ優勝を果たした’85年、3番ランディ・バース、4番・掛布雅之の後の5番を任された。塁上にランナーを置いて立つことの多い美味しい打順である。

 

 だが、岡田は常に抑制的だった。ボール球を見極めて一塁に歩き、手柄を6番の佐野仙好や長崎啓二に譲ることもあった。

 彼は5番の仕事を誰よりも理解していた。上位と下位の橋渡し役、その意味がわかった5番でなければ、打線は機能しない―。

 

「優勝」と言わないワケ

 

 現役時代、広島の左腕エースとして岡田と切迫の勝負を演じ続けた川口和久(64歳)も、「非常に選球眼のいい打者。冷静に対処する姿が印象に残っている」と話す。

「左腕の僕にとって、右打者へのインローへのクロスファイア(ストレート)は生命線。ボール球でカウントを稼ぎたい。特に甲子園の場合はそう。浜風が吹くから、外角への甘いボールは確実にやられる。

 ところが岡田さんは、内角のボール球に手を出さない。それでカウントを悪くし、外角にチェンジアップやスクリューを投げると、泳ぎながらも三遊間に持っていく。これが左腕にとっては一番嫌なんです。

 今年の大山のバッティングを見ていると、そういう打ち方をしていますよね。四球数もリーグでトップ(78個・8月29日時点)。ピッチャーが苦しくなるのを待っている。これも岡田さんの教えなんでしょうね」

 

 それを受け桧山は語る。

「1番の近本光司(28歳)と2番の中野。彼らは元々は積極的に打って出るタイプ。しかし、今シーズンは2人とも四球をよくとっている。同じ出塁でも初球をカーンと打ってのヒットと、ピッチャーに5球も6球も投げさせての四球では、与えるダメージがまるで違ってくる。

 もっとも選手は試合中に査定のポイントなんて気にしていません。だけど四球のポイントが増したことで、優勝するためにはこうしなければならないんだ、という岡田さんの考えは確実に浸透したと思います」

 

 8月29日現在、2位・広島に6ゲーム差を付け、ぶっちぎりの首位。「3ゲーム縮めるのに1カ月かかる」は岡田自身も認める球界の定説。セ・リーグの今シーズンは天王山を迎えることなく終わるのか……。

 にもかかわらず、岡田は優勝を「アレ」という言葉にくるみ、手綱を緩めない。それは13ゲーム差(’08年7月8日時点)を付けながら、巨人にまくられた苦い経験があるからだ。

 

 ’08年の悪夢を共有している鳥谷は振り返る。

「’08年は新井貴浩さんが北京五輪で故障し、歯車が狂ってしまった。今年はWBCもあった。岡田さんは万一に備え、後ろのピッチャーも3人で固定するのではなく、4~5人で回していこうと。だから6月に湯浅京己(24歳)が故障し、戦列を離れてもあたふたしなかった。岩崎優(31歳)の抑えも頭にあったはず。それは’08年の経験が生きているからだと思います」

岡田には優勝についての持論がある。<勝負は9月。9月に勝てるチームでないと、優勝はできない>(自著『そら、そうよ』)

 

 豊穣の秋(とき)は、もうすぐである。

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