第261回「できる限りオシム監督のもとで」~楽山孝志Vol.14~
2005年11月5日、ジェフユナイテッド千葉は国立競技場で行われたナビスコカップ決勝で、ガンバ大阪と対戦した。
ジェフの先発はゴールキーパーが立石智紀、ディタフェンダーに結城耕造、イリアン・ストヤノフ、斎藤大輔。中盤に山岸智、阿部勇樹、坂本將貴、羽生直剛、そしてポペスク。ワントップに巻。控えに、櫛野亮、水本祐貴、工藤浩平、水野晃樹、林丈統。みな若く、オシムの教えを吸収した選手たちだった。
この中に楽山孝志は入っていない。阿部や佐藤勇人は、ジェフの下部組織であるユース出身者であるとはいえ彼にとっては年下にあたる。焦りがなかったといえば嘘になる。楽山を評価した、他のクラブからレンタル移籍の打診も来ていた。
「指導者としての側面も学びたい」
「大卒でジェフに入ったので、プロ4年目であっても25、26歳。年齢では中堅組に差し掛かる時でした。必死でやっている自分と、どこまでプロとしてできるのかと俯瞰している自分がいました。次のキャリアとして将来指導者をやりたいという気持ちはありましたが、まだはっきりと決めていなかった。チームのマネージメント、トレーニングの構築など、オシムさんのやり方にすごく興味がありました。だから(強化部長の)昼田(宗昭)さんには試合のチャンスが少なくてもオシムさんがいる限りジェフでプレーしたいと話をしました。プロ選手として勝負の世界にいる以上、本来言ってはいけないかもしれないですが、指導者としての側面も学びたいと思っていたんです」
試合出場機会こそ限られていたが、自分の力が伸びているという実感はあった。オシムの指導の凄さは何なのか、日々の練習から考えることになった。
「自分だけでなく、例えば(佐藤)勇人。ボランチの選手なのでまず必要とされるのは、ボールを奪取する技術とボールを受けて配球する技術や前へボールを運ぶ推進力。彼の場合はそれに加えて、2列目からの相手DFライン背後への危険なフリーランニングがすごく進化していった」
この動きによって佐藤勇人はボランチ——守備的ミッドフィールダーでありながら得点に絡むことが多くなった。
「自分がボールを受けれなくても、彼の飛び出しにより、相手DFを引きつけ、多くのスペースを生み出しそこからチームが相手DFラインのバランスを崩し、突破するシチュエーションが多く見られました。みんなプロになるんだから、一定以上の技術はあります。それがさらに上手く、なっていく。羽生(直剛)君は難しい体勢でパスを受けても簡単にフリックで局面を打開したり、簡単に相手のDFラインを崩すシチュエーションが増えて行く」
フリックとは、味方選手から来たパスに軽く触り、軌道を微妙にずらして、他の選手へパスをつなぐ技術のことだ。味方の選手がどこにいるのか、パスを受ける前に把握する必要がある。
練習を積み重ねることで選手たちの足元の技術と判断力が伸びていくことにも驚いた。
「当時のJリーグのディフェンスの選手は一般的に、身体能力、予測認知能力、競合いに強い選手が多い傾向で、足元の技術が高い選手は現代の様に多くいなかった。その中でもジェフの選手たちはディフェンス、ゴールキーパーも含め足元の技術が明らかに上手くなっていく」
その理由を考えると1つの結論が導き出された。オシムの練習である。
「普段からオシムさんの多色のビブスを使ったトレーニングにより、ボールを受ける前に相手と味方の位置、スペースを認知することが習慣化されたため、パスを受けた時に多くの余裕が生まれ、ミスが減る。それで上手くなったように見えるのかもしれません。オシムさんが求めるのは、まず走って戦えること。その上でしっかり正確にパスを繋ぐ技術と判断力、さらに各ポジションによって強い個性と知性が求められる。例えば(水野)晃樹のように1人で局面を打開できる力と一発で試合を決めるシュート能力を持った選手が活躍していく」
――ライオンに追われたウサギが肉離れをしますか。
――サッカーは人生と同じで必ずしも自分の思う方向に物事が動くとは限らない。勝つこともあれば負けることもあるもの。
別れは突然だった
オシムは記者会見などで、意味深で心に突き刺さる言葉を口にした。ナビスコカップ優勝という明らかな結果を残したことで彼に対する注目は高まっていくことになる。そして楽山たちが心酔するこのサラエヴォ生まれの男との別れは突然やってきた。
ドイツで行われた2006年ワールドカップでジーコが率いる日本代表はグループリーグで敗退していた。中田英寿、中村俊輔、稲本潤一、小野伸二たちは、ジーコのいたブラジル代表時代「黄金の中盤」になぞらえていた。自国開催、2002年大会のグループトーナメント進出以上の夢を託された中での惨敗だった。責任問題が問われる中、6月24日に行われた記者会見の席上で、日本サッカー協会の会長、川淵三郎はオシムが次期日本代表監督であることを示唆した。
楽山はこの記者会見の記憶はない。
「あのとき(ワールドカップ中断を利用した)岐阜でキャンプ中だったんです。その発言を受けてかどうか分かりませんが、記者が多く来ていたんです。オシムさんがすごく悩んでいると感じました。代表監督を引き受けると、シーズン途中で離れ、チームに迷惑を掛ける。たぶんぼくたちにそうした気持ちを隠そうとしたのかもしれませんが、やはりわかりますよね。ぼくたちとしては、凄い監督なので代表監督として声が掛かることはびっくりしませんでしたね」
7月21日、オシムの日本代表監督就任が発表された。ジェフの後任監督となったのは、オシムの息子、アマル・オシムだった。
アマルは67年にサラエヴォで生まれている。86年から91年までボスニア・ヘルツェゴビナ一部リーグのFKジェリェズニチャル・サラエヴォ、90年からフランスの3部リーグでプレー、FKジェリェズニチャル・サラエヴォに戻り現役引退し、下部組織のコーチとなった。2001年からトップチームの監督を務め、04年にジェフのコーチとなっていた。
「ぼくは昔から外国人と話をするのが好きなんですよ。異国の人はどんなこと考えているのか、様々な現象に対してどの様な見方をしているのか興味あるじゃないですか。アマルさんはサテライト(チーム)を見ていたので、自分の拙い英語で良く話す関係でした。アマルさん、フリーキックを蹴るのがすごく上手く、フリーキック対決などを一緒にやっていました。当時選手たちとは割と近い関係でしたが、監督になった瞬間にパンって距離を置きましたね」
やはりコーチと監督は違うのだと、楽山は思った。
(つづく)
■田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。
2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com