ファンの暴走がチームに打撃を与えた例として、まず思い浮かぶのは、71~72年シーズンの欧州チャンピオンズカップである。

 

 ホームにイタリア王者を迎えたボルシアMGは、立ち上がりから攻撃陣が爆発し、堅守のインテルを7-1というスコアで粉砕する。

 

 ところが、この圧勝は公式記録には残されていない。試合中、ファンの投げ込んだ空き瓶がインテルのFWボニンセーニャを直撃したことで、勝利は無効となり、中立地での再戦を行う決定が下されたからである。ベルリンでの再戦を引き分け、ミラノで2-4と敗れたボルシアは、2回戦で大会を去った。

 

 とはいえ、これはボルシアのファン以外にはほぼ忘れ去れた話。同じ時代を生きた多くのファンが知り、また記憶する大事件といえば、84~85年シーズンのチャンピオンズカップ決勝だろう。いわゆる「ヘイゼルの悲劇」である。

 

 スタジアム内で10歳の少年を含む39人が死亡するという未曾有の大惨事は、酒に酔ったリバプールファンがユベントスファンのいるゾーンを襲撃しようとしたことで起きた。

 

 事態を極めて重く見たUEFAは、リバプールに無期限の国際試合出場停止を命じたばかりか、イングランドのすべてのチームに対しても5年間の出場停止を決定した。

 

 折しも、イングランドのみならず、欧州の全土でファンの暴徒化が深刻な問題となっていた時期だった。UEFAの下した裁定は、イングランドのサッカー界に衝撃を与えたが、同時に、ファンの起こした問題はチームの責任であるという認識を広く知らしめる結果にもつながった。

 

 19日、日本サッカー協会は浦和に対して来年度の天皇杯に参加する資格を剥奪すると発表した。8月2日の天皇杯4回戦、敵地での名古屋戦で一部のファンが暴徒化したことを受けての決定だった。

 

 欧州がそうであるように、日本でも、ファンの起こした問題をチームが問われたことは過去にもあった。ただ、今回の決定は過去の例と比べても相当に重い。大会の盛り上がりや観客動員を考えれば、協会側にとっても苦しい決断だったはずだが、ここでブレーキをかけえおかなければ、との思いが働いたのではと推察する。

 

 個人的には、初動の段階で浦和側が断固たる姿勢を見せていれば、協会がここまでの決断を下すこともなかったのでは、という気もする。当初、浦和が発表したのは31人のサポーターに9試合、1人に対して16試合の入場禁止、45人に厳重注意という措置。チームとしては精いっぱいだったのかもしれないが、協会側からすれば、再発防止につながる決定とは受け取れなかったということだろう。

 

 ただ、だからといって浦和のフロントを非難する気にはなれない。どれほどチーム側が策を講じようが、暴徒化する者はする。ファンの側に、自分たちの行為がチームを破壊しかねないとの思いを強く持ってもらうしかない。

 

 その上で、あえてできることを探すとすれば、選手の介入だろう。

 

 ヘイゼルの惨事は39人もの死者を出したが、試合は何とかキックオフされた。それは、ニール、シレアの両軍主将が場内放送で呼びかけ、懸命にファンを鎮めたからだった。選手の側からすれば余計な仕事でしかないだろうが、わたしに思いつく対応策は、それぐらいしかない。

 

<この原稿は23年9月21日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


◎バックナンバーはこちらから