今月、男子はヨーロッパ遠征、女子はアルゼンチンと親善試合、また、アジア競技大会でも日本が戦っております。アジア大会の映像が少ないのは残念ではありますが、今回は男子のドイツ戦と女子のアルゼンチン戦を中心に語りましょう。

 

 ドイツに大勝

 

 男子のA代表は10日(日本時間)にドイツと対戦しました。カタールW杯以来の対戦でしたが、結果からいえば日本が4対1と大勝しました。この試合を総括すると、日本はコンパクトに陣形を保ちながら、ボールを奪い、展開し、攻撃する。個人技で1つ、2つ相手を剥がして局面を打開できていました。

 

 前半の2得点は右サイドからでした。2点とも起点となっていたのは左センターバックの冨安健洋(アーセナル)のミドルパス。これが僕には興味深かった。

 

 1点目は冨安が左サイドから右サイドのMF鎌田大地(ラツィオ)へサイドチェンジ。鎌田は外をオーバーラップするDF菅原由勢(AZ)を使い、1対1で縦に突破し、ニアに低いクロスを入れました。このボールに伊東が右足を伸ばし、日本が先制しました。

 

 2点目は冨安がピッチ中央付近から右サイドの伊東へサイドチェンジ。伊東は外を回る鎌田に預け、ゴール前ニアに走りました。ボールは鎌田の外をオーバーラップする菅原に渡り、ゴール前へクロスを供給。伊東がニアでシュートを放ち、ゴール前に位置取るFW上田綺世(フェイエノールト)が右足でコースを変えました。

 

 冨安がボールを持ったら、ここを見てくれるかも、そういった信頼関係が選手たちの間にはあるのでしょう。

 

 2期目のメリット

 

 後半の頭から森保一監督は4-2-3-1から5-4-1に切り換え、ドイツに決定的な縦パスやスルーパスを出させませんでした。システムを変更しても縦と横のバランスがとれ、しっかりと攻撃にも出られる選手の距離間の保ち方は見事です。5バックながら、ベタ引きな時間帯ばかりではない。その証拠に3点目のように久保選手が高い位置で相手のパスをカットするような場面があったり、自陣でボールを奪ってから絵に描いたようなカウンターを仕掛ける場面もありました。奪った位置によってどう仕掛けるか、など前線へのボールの供給の仕方やポジショニングなど、随分とミーティングをしたんだろうなと思いました。

 

 それもこれも“代表監督の2期目効果”かなと感じます。森保監督は日本で初めてW杯をまたいでの続投監督。せっかく4年かけてチームを作ってきました。森保監督、または協会もW杯を戦い「ここは手応えがあった、ここは反省点」と収穫と課題があったはず。こんな素晴らしい過去の材料があるのに、今までは監督を変えてしまい、積み上げがはかれなかった。今はどうでしょう。森保監督が続投し、長くチームを見ているメリットを生かしています。

 

 こうなると、アンダー世代にもいい影響があるはず。アンダー世代の監督や選手たちは「ああ、A代表はこういうプレーを求めているんだ」「日本人はこうすれば世界で戦えるんだ」とA代表が下の世代の指標、サンプルになっているように思います。

 

 なでしこは新システム

 

 なでしこジャパンは、8対0でアルゼンチンに勝利と、驚きのスコアを叩き出しました。しかも、これまで使用してきた3-4-2-1ではなく、新システム4-3-3をテストしてこのスコア。親善試合なのでスコアよりも、4バックを試せたことが良かった。

 

 なでしこジャパンではこれまで3バックのセンターに入っていたDF熊谷紗希(ローマウィメン)を中盤の底、アンカーで起用しました。3バックでも4バックでも攻撃的な守備をピッチ上で表現できており、自分たちでスムーズにスペースをつくり裏を突いていました。3トップのウイングがわざとマークを引き連れて中盤に下がり、その裏にサイドバックが走り込む。こういう場面がたくさん見られたのはよかったですし、パリ五輪アジア二次予選前に新システムを試運転できたのは、良い機会でした。

 

 なでしこたちには、サッカー少女のためにも頑張ってほしい。小さい頃に少年たちと一緒にプレーしながら、中学や高校にあがるとプレー環境がなく、サッカーを諦めざるを得ない少女が少なくなかったはず。いまも十分とは言えませんが、僕の近くでいえば、鹿島学園にも女子サッカー部ができたり、文教大学の女子チームなどなど、少しずつではありますが、裾野が広がってきています。女子サッカーの盛り上がりは少女たちのプレー環境確保に必要不可欠ですから。

 

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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