出会いを大切にした太田宏介。「プロ3年目」が名クロッサーの出発点に
会見の冒頭から言葉に詰まり、目には光るものがあった。
「このたび私、太田宏介は18年間の現役を、引退することを決断いたしました。きょうはこれまで関わってくださった方々、たくさんの方に感謝の気持ちを伝えられる場にしたいと思いますので、明るく笑顔で、元気に進めていただけたらなと思います」
10月3日、東京・渋谷区内での記者会見。「皆様へお知らせ」との名目で行なわれ、自分の口から今シーズン限りでの引退を報告する前に、泣いてしまっていた。これまで継続的に追ってきた筆者としては何とも彼らしいなと、ちょっともらい泣きしそうになった。
所属するFC町田ゼルビアの公式YouTubeでライブ配信されたこの会見は2部構成になっており、1部はメディアとの質疑応答、2部はペナルティのヒデ、ワッキー、ライセンスの井本貴史らとのトークセッションが用意された。涙あり、笑いありで、あっという間に1時間が過ぎていた。太田の家族も会見場に同席し、アットホームな雰囲気に包まれた引退会見であった。
町田出身の太田は2006年に横浜FCに加入し、清水エスパルス、FC東京、フィテッセ(オランダ)、名古屋グランパス、パース・グローリーFC(オーストラリア)、町田と高精度を誇る左足のキックを持ち味に7つのクラブでプレー。日本代表でも国際Aマッチ7試合に出場している。FC東京時代にはJリーグのベストイレブンに2度選ばれている。
会見では自分のサッカー人生を支えてくれた人々への感謝の言葉で溢れていた。出会いを大切にしてきたからこそ、彼は“名クロッサー”としての地位を築くことができた。
この日、公の場で感謝を告げた一人に、プロ3年目の2008年に横浜FCの監督を務めた都並敏史がいる。日本代表の左サイドバックを長らく務めてきた師の指導によって、才能を開花させることになった。
第一部の最後にクロスのこだわりについて質問すると、彼はこのように述べた。
「もちろんキックの種類、弾道の違いとかたくさんありますが、僕自身のなかで一番強く意識していたのは目の前に相手がいても上げられるクロス。相手が寄せてきても足に当たらないような弾道、ボールを置く位置によってクロスを上げられるように、体の向き、軸足を置く位置、ボールを当てる場所だったりを意識してやってきました。土台となったのが2008年の横浜FC時代。都並さんには、本当に周りから見たら特別扱いしているんじゃないかって思われるくらい、全体練習が終わった後に毎日、クロスの上げ方、それこそ基礎の部分をたくさん教わりました。
それがやっと試合のなかで結果に出るようになったのが清水エスパルス(時代)の後半と、FC東京に移籍してからでした。相手も警戒して寄せてくるし、自分の間合いで上げられないこともたくさんあるんですけど、そういったなかでも上げられるようなちょっとした工夫というのは都並さんから教わってきたものを活かすことができたのかなと思っています。1対1を仕掛けなくても自分の間合いでクロスを上げて、それを得点につなげる。(逆に)上げない機会もあるからこそ1対1を仕掛けて、上げるクロスも活きてくる。いろんな使い分けができたから、たくさんのアシストがあったのかなと思います」
都並から教わってきた基礎を大切にし、自分なりに応用していくことで“一級品”が生まれた。都並からは「お前のストロングポイントは左足なんだから、とにかく磨け」と口酸っぱく言われてきた。そのとおりに全体練習後、ガムシャラに磨いてきた。
もし、もう一つ質問できたら、三浦淳寛についても聞いておきたかった。2008年の横浜FC時代、左サイドバックとして“一本立ち”できたのは都並同様、三浦の存在がとてつもなく大きかったからだ。あのコメントに続きがあるとしたら、きっと三浦に対する言及があったに違いなかった。
三浦からは「高い位置でボールを受け取ったらとにかく勝負しろ」とこれまた口酸っぱく言われてきた。三浦が前でキープする間に駆け上がり、ボールを受け取ったら勝負してクロスを上げて得点に絡んだ。
エスパルスに移籍してからも都並、三浦からは電話でよくアドバイスを受けていた。「褒めるような言葉は全然ないんですけど」と笑って明かしてくれたことがある。
太田の自宅には三浦のユニフォームが飾られてあった。エスパルスに移籍する際にもらったもので、そこには三浦のサインとともにメッセージが書かれていた。
「自信と過信は紙一重。頑張れ」
いつしかこの言葉は、太田の座右の銘になる。
己を常に見つめ、どこでプレーしようとも駆け上がったプロ3年目のように努力を怠らなかった。それはFC町田ゼルビアに移籍してからも変わらない姿である。現在J2首位を走り、優勝とJ1昇格を目指すチームにおいて、若手のいい見本となっていることは言うまでもない。
J2も残り6試合となる。太田のこだわりと人生観が詰まった極上のクロスを、しっかりと目に焼きつけておきたい。