第262回「打診をくれたJクラブ」~楽山孝志Vol.15~

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 2006年7月19日、Jリーグが再開した。第13節でジェフユナイテッド千葉はガンバ大阪と対戦している。日本代表監督に就任したイビチャ・オシムの後を引き継いだアマル・オシムが指揮を執る最初の試合となった。

 

 登録上はイリアン・ストヤノフと斎藤大輔の2バックの前に6人のミッドフィールダー、2人のフォワード。実質は変則的な4-4-2である。背番号23をつけた楽山孝志はベンチ入りしたが、出場機会は与えられなかった。ジェフは巻誠一郎と共に2トップを組んだオーストリア代表のマリオ・ハースが先制点をあげた。しかし、中山悟志、播戸竜二の得点で逆転され、1対2で敗れている。

 

 アマル体制下

 

 続く第14節のサンフレッチェ広島戦、15節の京都パープルサンガ戦で連勝。楽山はやはりベンチに入っているが、出場はない。楽山がピッチに立ったのは、アマル体制4試合目となる第16節の名古屋グランパス戦だった。2対3とリードされた84分に、羽生直剛と交代している。この後、試合は動かずジェフは敗れている。

 

 アマルは父の元でサテライトの監督を務めていたこともあったろう、若手起用に積極的だった。

 

  楽山はこう振り返る。

「サテライトでどの選手がトップで出場できるか把握していたと思うんです。ぼくはアマルさんとは拙い英語でコミュニケーションをとっていたので、個人的にもっと攻守に渡りアグレッシブにプレーをすることと得点に絡む仕事をするように言われました」

 

 9月3日、ヤマザキナビスコ杯の準決勝の川崎フロンターレとの1試合目に、楽山は先発フル出場している。この他、高卒1年目のフォワード、青木孝太、大卒2年目で未だ公式戦の出場がなかった松ヶ枝泰介がベンチに入っている。試合は2対1でリードしていたが、終了間際にフロンターレのジュニーニョに得点を決められ、同点で終わった。

 

 第2戦は延長までもつれ、阿部勇樹の得点で千葉が決勝に進出。11月3日の鹿島アントラーズとの決勝戦で2対0で勝利し、ジェフはタイトルを獲得している。ただし、この2試合とも楽山はベンチに座り続けている。

 

 11月8日の天皇杯4回戦のコンサドーレ札幌戦には途中出場、しかし0対1で敗れ、シーズンが終了した。

 

 最終的にリーグ戦18チーム中11位。楽山はリーグ戦13試合、カップ戦8試合、天皇杯1試合出場という結果だった。

 

 移籍を検討

 

 翌2007年シーズン、アマルの2年目の滑り出しは悪かった。ジェフは開幕から名古屋グランパスエイト、清水エスパルスに連敗、その後も厳しい状況が続いた。若手起用、戦術の変更によりこれまでの選手の心が離れていた。

 

 サッカーは複雑な競技である。ピッチの中での選手の技術やコンディション、モチベーション、監督コーチの洞察力、経験が絡み合う。そして優秀な監督であってもすぐに結果を残すとは限らない。

 

 アマルにとって酷だったのは、ユーゴスラビア代表監督などの修羅場をくぐってきた父親と比較されたことだ。アマルはまだ三十代だった。選手たちは悪意がないにしても、経験のないアマルを軽く見がちだ。アマルもそれに反発する――結果が出なければ負の回転が始まる。

 

 まずブルガリア代表のストヤノフが反旗を翻した。

 

 彼の激しい気性は、ピッチの中で正しい方向に向かえば心強い。そうでなければ、チームを逆の方向に向かわせてしまう事もある。父と違ってアマルはストヤノフを納得させることができなかった。6月、監督批判をしたストヤノフは謹慎処分を受け、7月23日付で解雇となった。

 

 彼のような足元の技術、パスの出せるディフェンダーはどこのクラブも喉から手が出るほど欲しい。ストヤノフに声を掛けたのはミシャことミハイロ・ペトロヴィッチが率いるサンフレッチェ広島だった。

 

 このシーズン、ジェフは13位と前年よりも順位を下げ、アマルはチームを去った。その他、羽生直剛、山岸智たち主力選手が移籍している。オシムの積み上げたサッカーはあっけなく消えた。

 

 新しく監督となったのはクロアチア人のヨジップ・クゼの元で楽山の出場機会は減った。そんなとき、強化部長の昼田宗昭から幾つかのクラブから楽山を欲しいという打診があると教えられた。イビチャ・オシムが監督をやっている限り、このクラブに居つづけようと思っていた。しかし、もはやオシムはいない。移籍を前向きに考えることにした。楽山が驚いたのは、昼田が口にしたクラブの中にサンフレッチェ広島が入っていたことだった。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com

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