オリックスがリーグ3連覇を達成したことで、あらためて前身の阪急の強さにスポットライトが当たっている。

 

 

<この原稿は2023年10月20日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>

 

 阪急がリーグ4連覇を達成したのは1975年から78年にかけて(75年から77年までは3年連続日本一)。闘将・西本幸雄が鍛え上げた選手たちを、知将・上田利治が磨き上げ、完全無欠なチームに仕上げた。

 

 当時の阪急のレベルの高さを証明するエピソードのひとつに、選手同士のサインの交換がある。普通、サインは監督が出すものだが、阪急では選手が選手に送っていたというのである。

 

 それを教えてくれたのが、4連覇当時の外野手・大熊忠義だ。打順は主に2番。リードオフマン福本豊の盗塁をアシストするのが、主な役割だった。

 

「福本いうても、全部走っとったわけやない。一塁から僕にヒットエンドランを要請する時もあった。その時は福本がスパイクの泥を落とす仕草をするんです。それを見た僕はバットの先を触る。これは“了解したよ”というサイン。

 しかし、相手バッテリーは、僕らがそんなことやってるとは知らん。そこで福本の盗塁を阻止しようと真っすぐばかり放ってくる。(スピードの遅い)変化球じゃ、福本を二塁でアウトにできんからね。福本は走らんと決めてるのに、スタートを切る素振りだけはする。

 そこへストレートがくる。僕はそれを狙ってライト前へ持っていく。見事にヒットエンドランが決まって、一、三塁ですよ。これは、おもしろいように決まったね。しかし、本当のところ、上田さんは面白くなかったかもしらんね。監督を無視して2人でやっとるわけやから。“オマエら2人で野球やるな”と叱られたこともありますよ(笑)」

 

 福本とは仲違いしたこともあった。一塁走者の福本がスタートを切るたびに、大熊が繰り返しファウルを打ったからだ。

 

「打たんかったらセーフやのに……」

 

「いや、あれはアウトや」

 

 福本が名人なら、大熊は職人だ。2人とも譲らない。

 

「だったら、オレもう2番やめるわ」

 

 そこで上田は外国人のバーニー・ウイリアムスを2番に起用した。ウイリアムスに福本の盗塁をアシストしようという気はさらさらない。

 

 その結果、福本の盗塁は激減し、チームも不振に陥った。

 

「すいません。クマさん、もう1回(2番を)お願いしますわ」

 

 福本が詫びを入れ、一件落着。名人や職人が揃っていた阪急黄金時代の逸話である。

 


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