華麗なバックアタックを武器に多くの国際大会で活躍した迫田さおりさん。苦しい時代を乗り越えて、自らの武器を磨き上げてきた勝利哲学を当HP編集長・二宮清純と語り合う。

 

二宮清純: 先日、女子バレーボールのパリオリンピック予選を兼ねたワールドカップバレーが行われました(9月16日~24日)。出場24カ国が3組に分かれ、各組上位2カ国にパリ五輪への出場権が与えられる中、日本はB組3位で惜しくも今大会での出場権獲得を逃しました。迫田さんはテレビ中継にも出演されていましたが、日本代表の戦いぶりをどうご覧になりましたか。

迫田さおり: 出場権を得たトルコとブラジルは、いずれも日本より世界ランキングは上でした(2023年9月時点でトルコ1位、ブラジル3位、日本9位)。でも、十分に戦える力はついてきたと思います。「世界ランキングで1位格上だから勝つのは無理だ」という感じはなく、トルコにも、ブラジルにも「日本は嫌だな」と思わせることができた戦いだったと思います。

 

二宮: 今大会では、日本の「マッハとジェット」という攻撃が話題になりました。少し解説をお願いできますか。

迫田: これはセッターからトスが上がり、アタックするまでの時間が1秒以内のバックアタックのことです。セッターが自分より前方にトスを上げてアタックするのを「マッハ」、後方にトスを上げてアタックするのを「ジェット」と呼んでいました。

 

二宮: この攻撃の狙いは?

迫田: 2種類のバックアタックを1秒以内に打つことで、相手ブロッカーに的を絞らせないことです。身長の高い海外の選手に対しては、攻撃枚数(攻撃できる選手)を増やさないとなかなかブロックを崩せません。マークされがちなレフトやライトの攻撃に、バックアタックの選択肢が増えることにより、相手は前衛のブロックに人数を割けなくなる。結果的にサイドの選手も生きてきます。

 

二宮: なるほど。とはいえ、1秒以内にバックアタックするのは、口で言うほど簡単ではありませんね。

迫田: トップ選手なので簡単にやっているように見えますが、高い技術がないとできないことです。また、セッターとアタッカーだけではなく、周りの選手の動きも全て合わさって初めてうまくいきます。

 

二宮: 少し試合を振り返りたいのですが、トルコに敗れて迎えた最終戦のブラジル戦。五輪出場権獲得には勝つしかないという試合は、フルセットにもつれ込みました。第4セットをいい感じで取れたので行けるかなと思ったのですが、第5セットは10-10から5連続失点して敗れました。あれはブラジルの底力でしょうか。

迫田: 勝利への執念だと思います。もちろん、日本のミスが響いた部分もありますが、ブラジルの選手たちの表情からは「負けられない意地」のようなものをヒシヒシと感じました。

 

二宮: トルコに敗れた後、眞鍋政義監督は、「大砲がいないわれわれは、サーブレシーブだけは勝たなければいけなかったが、徐々にそれを崩されてしまった」という趣旨の話をされていました。この点はどうでしょう?

迫田: そのとおりだと思います。高さやパワーで劣る分、レシーブでつなぐことに関しては、絶対に他の国に負けてはいけないのが日本のバレーです。

 

二宮: もう1つ、トルコとブラジルの2試合を見ていて痛感したのは、やはり終盤での点を取り切る力が世界のトップチームにはある、ということでした。

迫田: 大一番で決める1点というのは、近いようで遠いです。あと1点取れば勝てるというケースでは、その1点が本当に取れない。最後の1点を取りきるまでに少しでも「これで勝てるかも」と思ってしまうと、その瞬間に負けます。トップチームは、その一瞬の隙を突いてくるのです。

 

二宮: ほんの小さな差のように見えて、これが大きい。

迫田: はい。バレーボールはネットを挟んでプレーするので、相手の目が見えます。そこから疲れやいら立ち、集中力の低下などを感じ取る。そして、そこを突いてくるんです。

 

二宮: パリ五輪の出場枠はあと5つ。来年行われるネーションズリーグ・1次リーグ終了時点の世界ランキングで決まります。ズバリ日本の可能性は?

迫田: 大変な道のりですが、可能性は十分あると思います。世界ランキングは試合ごとに変わるので、気の抜けない試合が続きますが、今の選手たちの力を信じて私も全力で応援していきます。

 

(詳しいインタビューは11月1日発売の『第三文明』2023年12月号をぜひご覧ください)

 

迫田さおり(さこだ・さおり)プロフィール>

1987年12月18日、鹿児島県鹿児島市生まれ。姉の影響で小学3年生からバレーボールを始める。鹿児島西高校3年時に鹿児島県選抜に選ばれ、国体で3位入賞。卒業後は、Vリーグの東レアローズに入団。2009-10シーズンからレギュラーとして定着し、リーグ優勝や得点王を獲得するなど中心選手として活躍した。日本代表には10年4月に初選出。世界選手権銅メダル(10年)、ロンドン五輪銅メダル(12年)、ワールドグランドチャンピオンズカップ銅メダル(13年)、リオデジャネイロ五輪5位入賞(16年)など、数々の国際大会で結果を残した。ポジションはアウトサイドヒッター。17年5月に現役を引退。現在はテレビ解説のほか、スポーツ紙のコラム執筆などマルチな分野に活躍を広げている。


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