オリックスの山本由伸が3年連続3度目の沢村賞に全会一致で選出された。3年連続の受賞は400勝投手の金田正一以来2人目。ご同慶の至りである。

 

 令和の時代になって、カネやんに並ぶ投手が現れるなど思ってもみなかったが、なぜか山本、日本シリーズでは勝てない。

 

 10月28日の阪神との第1戦を含め、山本は日本シリーズのマウンドに先発として過去4回上がり、0勝2敗、防御率4.74。惜しかったのは2年前の東京ヤクルトとの第6戦。9回1失点と好投したものの、打線の援護がなく勝ち星が付かなかった。

 

 過去にも、日本シリーズでの勝ち星に縁がなかった沢村賞投手がいる。代表的なところでは小山正明(0勝3敗)、西口文也(0勝5敗)、山本昌(0勝4敗)、そして同賞に2度輝いた北別府学(0勝5敗)。広島で通算213勝を挙げた北別府は、10年から沢村賞の選考委員も務めていたが、今年6月、白血病のため世を去った。

 

 北別府は79、80、84、86、91年と5度日本シリーズに出場し、先発で6回、リリーフで5回マウンドに上がっている。79年と80年は近鉄、84年は阪急を下して日本一になった。

 

 リリーフはともかく、6回も先発すれば、1回くらいは勝ってもおかしくない。ところが彼は1度も勝てなかった。彼が登板した試合のチーム成績は0勝10敗1分け。ここまでくると、もう呪われているとしか言いようがない。

 

 ちなみに野球人がしばしば口にするジンクス(凶事)とは、イユンクス(古代ギリシャ語)という名の鳥に由来する。キツツキ科のアリスイで、首をくねらせてヘビに擬態する。天敵から身を守るためだ。この動きが気味悪がられ、古来より欧州では、しばしば吉凶占いの生贄に捧げられたという。アリスイにとっては迷惑な話だ。

 

 北別府に話を戻そう。今でも語り草なのは86年、広島が3勝1分けと王手をかけて迎えた西武との第5戦。北別府は12回途中まで投げたが、代わった津田恒実が工藤公康にサヨナラヒットを浴び、1対2で敗れ、敗戦投手になった。これで勢いに乗った西武は敵地に乗り込み3連勝。大逆転で8戦に及んだシリーズを制したのである。北別府は獅子の生贄にされたのだ。

 

 当時の広島には北別府に次ぐ右腕がいた。山根和夫である。こちらは日本シリーズに滅法強く、シリーズ通算5勝。“江夏の21球”で知られる79年の近鉄との第7戦でも、勝ち投手になっている。

 

 人一倍、プライドの高い北別府の心境はいかばかりだったか。後年、それについて訊くと、重い口が一層重くなった。「心残りと言えば心残りですが…」。およそ考え得る最高の野球人生を送ったかに見えるが、本人には画竜点睛を欠く、との思いがあったのかもしれない。

 

 日本シリーズは、まだ3試合が終わっただけ。山本には、ジンクスに打ち勝つ機会が残されている。それが日本での見納めか…。

 

<この原稿は23年11月1日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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