一般女性との不適切な関係が報じられた文部科学政務官。有料インターネット公告を巡る公職選挙法違反に関与していた疑いのある法務副大臣。そして税金滞納を繰り返し、4度も差し押さえを受けていた税理士資格を持つ財務副大臣。「適材適所」という言葉が空疎に聞こえる近来の政治の貧困ぶりである。

 

 本来「適材適所」とは人事の妙を意味する言葉であり、プロ野球の世界でも、しばしば使われる。

 

 私が知る限りにおいて、これに異を唱えた監督がひとりだけいる。近鉄とオリックスで3度のリーグ優勝と1度の日本一を達成した仰木彬である。

 

「大事なのは、そのタイミングなんや」。要約すれば、これと見込んだ人材を、これと思う場所に配置しただけでは事は成就しない。「誰」を「どこに」に加え、「いつ」が肝になる、というのである。「適材適所」そして「適時」――。この3つは、切っても切り離せない関係にある、というのが仰木の考え方だった。

 

 具体例として、田口壮(現オリックス外野守備走塁コーチ)のコンバートをあげたい。1992年、彼がドラフト1位で入団した際、「オリックスは向こう10年、ショートには苦労しない」と言われたものだ。強肩、強打、そして俊足。だが、あにはからんや、彼は、わずか2年でショートをクビになってしまう。

 

 原因はイップスだった。「不思議なことに考える時間がない時はいいんです。三遊間のゴロに飛び込んでウリャーと投げる。こういう時は問題ない。ところが正面の当たりで余裕を持って、ファーストが一塁ベースに入るのを待っていたりすると“どうしよう、どうしよう”とドキドキしてくる。まるで爆弾でも抱えているような気持ちになるんです」。制御を失ったボールがスタンドに飛び込むことも珍しくなかった。強肩ならぬ“凶肩”である。

 

 プロ入り3年目の94年、仰木が監督に就任する。開幕後、しばらくはショートを守っていたが、送球ミスをした直後に、ボスからこう告げられる。「もう(ショートは)ええやろ。外野へ行け」。仰木はコンバートのタイミングを見計らっていたのだ。「あの足と肩は外野でこそ生きると思ってましたよ。ただし、彼にもプライドがある。最初から“失格や”とは言えんしね」。その後、田口が名外野手として、日米で活躍したのは周知の通りである。

 

 今年、日本一の座を争った阪神・岡田彰布監督、オリックス・中嶋聡監督は、いずれも仰木の下で選手やコーチ経験がある。岡田が仰木流の“日替わり打線”に否定的なように、反面教師にしている点も少なからず見受けられるとはいえ、ともに選手の起用法については共通点がある。すなわち「適材適所適時」だ。マジシャンと呼ばれた男の遺産である。

 

<この原稿は23年11月15日付『スポーツニッポン』に掲載されたものです>


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