第263回「移籍の決め手はミシャ」~楽山孝志Vol.16~
2008年7月、楽山孝志がサンフレッチェ広島にレンタル移籍を決めたのは、指揮官がミハイロ・ペトロビッチだったからだ。
ミシャことペトロビッチは1957年にセルビアで生まれた。14歳のとき、ユーゴスラビアリーグ1部のレッドスター・ベオグラードの下部組織に入った。当時、セルビアはユーゴスラビアの1部だった。レッドスター、そしてクロアチアのディナモ・ザグレブでプレーした後、85年にオーストリアのシュトルム・グラーツに移籍。93年にグラーツで現役引退し指導者となった。96年に古巣であるシュトゥルム・グラーツの下部組織のコーチとして戻っている。このときトップチームの監督がイビチャ・オシムだった。ここで彼はオシムの薫陶を受けることになる。そして、2006年6月からサンフレッチェ広島の監督に就任していた。07年シーズン、広島はJ1で16位となり入れ替え戦に回り、J2に降格していた。
06年、7年シーズンはオシムの息子、アマルが監督を引き継いだ後こそ低迷していたが、以前はジェフユナイテッド千葉はJ1の上位に入っていたクラブである。J2の広島に移ることに躊躇はなかったのかと訊ねると、楽山は大きく首を横に振った。
「J2に落ちたとはいえ、広島は、素晴らしいサッカーをしていました。自分の好きなスタイルのチームでした。ミシャはオシムさんと師弟関係ということもあって、サッカー観が似ている。自分もチームにフィットしやすいのではないかと思ったんです」
広島に加入して感じたのは、やはりオシムのサッカーとの共通点だった。
「攻撃的で、ボールを大事にするサッカー。観ている人を楽しませるという方向性も一緒でした」
ボールを大事にするとは、安易に前線にボールを蹴り込まないことだ。そのためには自分たちがボールを持ったとき、周りの選手が近づきパスを受けなければならない。次々とパスを繋いで、相手の隙間を見つけてゴールを狙う。ボールを奪われなければ、失点はない。自分たちが主導権を握るサッカーである。
オシムとミシャの違い
「オシムさんと少し違っていたのは、ミシャは常にチャンスがあれば中央-CF(センターフォワード)へのパスを狙うようにと強く要求していたこと。例えば、センターバックの選手、(森脇)良太や(盛田)剛平さんがボールを持ったとします。彼らがCFにボールをワンタッチでタイミング良く通すと、ミシャから“ブラボー”が出る」
つまり、最終ラインからセンターフォワードに縦パスが通れば、その後に位置する2人のシャドウを含めた3人の動きで、相手ディフェンダーが何人いても中央から崩すことができる発想だ。オシムと同じようにミシャもまた自分の考えに合致しているプレーかどうかの判断を「ブラボー」という言葉で表現したのだ。
「まずは中央を使う。中央を崩せないときは外(両サイド)。最初から外に行って、(相手選手が動いてパスコースを)切られたら、パスコースがより限定される。だからまずは中央を使おうという考えが強かったです」
ペトロビッチの採用した基本システムは、3-4-3である。
前線に佐藤寿人、あるいは久保竜彦というフォワードを1人置き、その後に2人の“シャドウ”を配する。中盤の4人のうち、両サイドの2人はウイングバックとして左右に開く。真ん中の2人は守備的ミッドフィールダーである。
「森崎浩司、(柏木)陽介、(髙萩)洋次郎たちのツー・シャドウの立ち位置の指示は特に細かかったと思います。(相手の)ディフェンスラインに入り過ぎず、なおかつ引きすぎない。センターバックとボランチのライン間にうまく立てと。相手のセンターバックがシャドウに引っ張られて前に出て来れば、(ワントップの佐藤)寿人の背後が空く。センターバックが出てこなければ、ボールを受けることができる」
シャドウと楽山たちウイングバックの連動がペトロビッチの1つの肝でもあった。
「ウイングバックを(サイドラインぎりぎりに)張りつけて相手のサイドバックを下げさせ、隙間をつく。立ち位置によって相手のDFラインのバランスを崩す、現代サッカーでよく言われるポジショナルサッカーに近いと思います」
ボールを保持し、ポジションを入れ替えて相手の守備を崩す――。
失点を避け、勝ち点を積み上げるために守備的な戦術に傾きがちなJ2で、広島はこのシステムを貫き、9月にはJ1昇格を決めている。このシーズン、楽山は13試合に出場している。
「もう試合に出られようが、出られないだろうが、毎日が楽しかった。毎日のトレーニングを楽しむのが大切だと思うんです。選手のスキルをあげながら、順位を上げていくことが一番難しい」
オシム、そしてペトロビッチはそれができる監督だった。ペトロビッチの元で若手選手だった柏木陽介、槙野智章たちが力を付けていくことになる。
時にオシムの指導を思い出すこともあった。
「ミシャの場合は確固たる自分の目指すスタイルがあり、守備では可変的に5−4−1となり、攻撃と守備において求められる戦術を理解しないと試合に出られない。そこははっきりしていました。オシムさんももちろんスタイルはありましたが、トレーニングの内容と構築によって選手を自分の色に染めることができた。組み合わせによって選手の良さを引き出す」
08年シーズンでジェフからのレンタル移籍が終了。楽山は広島へ完全移籍することになった。
(つづく)
■田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。
2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com