現地時間16日、MLBのMVPが発表された。アメリカン・リーグはロサンゼルス・エンゼルスをFAとなった大谷翔平が2年ぶり2度目、ナショナル・リーグは史上初の「1シーズン40本塁打、70盗塁」を成し遂げたアトランタ・ブレーブスのロナルド・アクーニャが輝いた。大谷とアクーニャは全米記者協会会員による投票で満票(30人)で1位票(14点)を獲得、2位以下に大差をつける420点で選ばれた。今季の大谷は投手として10勝5敗、打者として打率3割4厘、44本塁打、95打点、20盗塁、102得点。日本人初のホームラン王を獲得した。

 

伝説となった侍ジャパンを支えた唯一無二

 

(この原稿は『サンデー毎日』2023年4月9日号に掲載されたものです)

 

「彼はリトルリーグでやっていたことが、こういう大きな舞台でも実現できる。ユニコーンのような存在だ。他の人は、彼のようにはなれない」

 決勝で日本に敗れた米国マーク・デローサ監督の試合後のコメントは実に味わい深いものだった。

 

 日本の3大会ぶり3度目の優勝で幕を閉じた第5回大会、MVPに輝いた大谷翔平は、投打でチームを牽引した。投げては3試合に登板し、2勝0敗1セーブ、防御率1.86。打っては打率4割3分5厘、1本塁打、8打点。投手とDHの2部門でベストナインにも選ばれた。

 

 デローサが驚嘆したように、リトルリーグとメジャーリーグ、そしてWBCが地続きでつながっているところに大谷の凄さがある。図らずも、それを証明したのが、泥だらけのユニホームだ。

 

 米国戦、3対2で迎えた9回表、栗山英樹監督は締めくくりのマウンドを大谷に託した。

 球場のレフト側に設置されたブルペンからマウンドに向かう大谷のユニホームは泥だらけだった。

 

 その姿を見ていた村上宗隆は「夢のようなシーンだった」と振り返った。一心不乱にボールを追いかけるリトルリーグの少年の姿に重なったのかもしれない。昔の自分も、またそうだったように。

 

 7回、ショート方向にゴロを放った大谷は全力疾走で一塁に飛び込んだ。自ら両手を広げてセーフをアピールした。この時点でスコアは3対1。追加点への執念が見てとれた。投げる、打つに加え、大谷には足という武器もあるのだ。

 

 牽制で一塁に戻る。それも頭から。続く4番・吉田正尚の游ゴロで二塁にスライディング。初回からうっすら汚れていたユニホームに、くっきりと茶色が残った。

 

 泥だらけのユニホームでマウンドに上がるクローザーなんて見たことも聞いたこともない。その姿を見て、奮起しない選手はいまい。

 

 大谷はマウンドに向かう前から「2死走者なしでマイク・トラウト。それが最高の状況」と考えていた。

 

 ベースボールというスポーツは二つの要素から成り立つ。ひとつは組織対組織、もうひとつは個対個。2死走者なしなら個対個、すなわちメジャーリーグで3度のMVPに輝くエンゼルスの同僚トラウトと真っ向勝負ができる――。大谷は、そう心をときめかせたのだろう。これほど贅沢な時間はない。もしかすると、この27個目のアウトを取る作業だけは、ひとりで遂行したかったのかもしれない。

 

 しかし、大谷といえども人の子である。少々、力が入り過ぎたのか、先頭打者のジェフ・マクニールを歩かせてしまう。理想のシナリオは、ここで一旦、潰えてしまったかと思われた。だが、彼にはゴロアウトを誘ういくつもの武器がある。ここで選択したのは157キロのストレート。力づくでムーキー・ベッツを併殺に仕留め、「最高の状況」を復活させてみせた。

 

 ショータイムもいよいよ大詰めだ。トラウトに対し、初球はスライダー。外角低め、ボール。2球目は160キロのストレート、空振り。3球目も160キロのストレート、外角のボール。4球目はど真ん中のストレート、空振り。5球目は、何と164キロののストレート。これは外角低めに外れた。

 

 フルカウント。大谷が最後に選択したのはスイープと呼ばれる曲がり幅の大きなスライダーだった。まるでブーメランのように43センチのホームベースを内から外に横切った。フルスイングで迎え撃ったトラウトだが、かすりもしなかった。

 

 スプリットでも三振がとれたかもしれない。しかし、ワンバウンドする可能性のあるスプリットだと、仮に空振りを奪っても振り逃げのリスクがある。そこでスイープを選択したのではないか――。そんな推理が愉しめるのも、大谷が投じるボールの、どれもがエクセレントだからだろう。

 

 独壇場と化した今回のWBCで、大谷はあらゆる能力を惜し気もなく披露した。そのひとつが、準々決勝のイタリア戦で見せたセーフティーバントである。

 

 ドジャース時代、野茂英雄とバッテリーを組んでいた監督のマイク・ピアザは大谷をはじめとする日本の打者の打球方向を、よく調べていた。捕手出身の彼は、昔からインサイドワークに長けていた。

 

 大谷が打席に立つと、トラッキングシステムによるデータを基に一塁手はライン際、二塁手は一塁寄り、ショートは二塁ベース付近、そしてサードはショートの定位置あたりにポジションをとった。メジャーリーグのやり方に倣った。

 

 大谷はこのシフトの逆を突き、三塁方向にセーフティーバントを転がした。これに慌てた左腕のジョセフ・ラソーサは体を反転させて一塁に投げようとしたが、バランスを崩して尻餅をついた。これでチャンスが拡大し、日本はこの回、一挙4点を奪った。

 

 実は大谷は最初の打席でヒットを1本損していた。センターへ抜けようかというライナー性の打球が、シフトの網に引っかかってしまった。

 

 だが2度も同じ手はくわないのが大谷である。打席に入る前から彼は相手の守備位置を確認し、どの位置に転がせばいいか、“頭の体操”を繰り返していた。

 

 試合後、このバントについて聞かれたピアザは「エッ! バントなんてしたっけ」とおどけた後、真顔に戻って「彼は我々の守備位置を瞬時に理解し、抗おうとしたのかもしれない。素晴らしい選手だ」と賛辞を贈った。

 

 興味深かったのは、翌週のTBS系の人気番組「サンデーモーニング」である。大谷のセーフティーバントに対する感想を求められたゲストの落合博満は「オレならやらない」と言下に否定したのだ。「クリーンアップですから……」

 

 クリーンアップのバッターがセーフティーバントをしてはいけない、という決まりはどこにもない。ここから先は価値観の問題だ。中心打者、特に4番は「オレの中ではスーパーマンでなきゃいけない」と落合は考えている。4番に対する揺るぎのない矜持といってもいい。ある種、家父長制的な4番像だ。

 

 こうしたパターナリズムから、大谷はどこまでも自由である。メジャーリーグでホームラン王争いをするほどの長距離砲でありながら、打順に対するこだわりが一切、感じられない。

 

 二刀流という特殊な事情があるとはいえ、1番でも2番でも、どこでもこなす。メジャーリーグにおいても、スタメンで9番以外の打順は全て経験した。ただし、どの打順でも自らのスタイルを変えようとはしない。2番だから、とか4番だから、という固定観念に彼は縛られていないのだ。

 

 そもそも、大谷が野球の伝統的価値観に染められた人間であったなら、二刀流を選択することはなかったはずだ。「先入観は可能を不可能にする」とは、花巻東の佐々木洋監督が教え子に贈った言葉である。それを今でも彼は大切にしているという。

 

 21年のア・リーグMVPも、昨シーズンのベーブ・ルース以来となる「2ケタ勝利&2ケタ本塁打」も、そして今回のWBC制覇&MVPも、進化を続ける28歳にとっては通過点に過ぎないのかもしれない。

 

 イタリア戦でのセーフティーバントとともに、もうひとつ印象に残ったシーンがある。最も苦戦した準決勝のメキシコ戦の9回、右中間二塁打を放った直後に見せたベンチに向けてのガッツポーズだ。それもただのガッツポーズではない。「カモン!」と声を発して、仲間たちを鼓舞したのだ。「オレに続け!」と言わんばかりに。

 

 スコアは4対5。4番の吉田が四球でつなぎ、不振に喘いでいた5番・村上のサヨナラ二塁打を呼び込んだ。

 この日の主役は村上に譲ったが、トゥーウェイ・プレーヤーの大谷は、主演も助演も務めることができる。その意味でも彼は“二刀流”なのだ。

 

 打ってはスコアリングだけでなくチャンスメークもこなし、投げては先発もリリーフもできる。おそらく一塁ベースを駆け抜けるスピードを測れば誰よりも速いだろう。そして誰よりも、野球を楽しんでいる。どの瞬間を切り取っても、彼はリトルリーグの少年なのだ。永遠の野球小僧が、いつもそこにいる。

 

 日本に14年ぶりの世界一をもたらした栗山英樹監督の手腕についても触れておきたい。

 栗山が“元祖・知将”三原脩の信奉者であることはよく知られている。生前、三原に教えを乞うたことはないということだから、いわゆる没後弟子にあたる。

 

――三原さんの、どういうところが好きか?

 かつて私の質問に栗山はこう答えた。

「大局観というんでしょうか。三原さんには、それがあった。目先の試合のことも大事だけど、それ以上にプロ野球にとって大切なものは何か。それはお客さんを喜ばせることだろうと。三原さんには、プロ野球全体のことが見えていたんじゃないでしょうか」

 

 米国戦の8回、栗山は中5日でダルビッシュ有をマウンドに送った。9回は大谷がスタンバイしている。

 相撲に例えるなら、ダルビッシュの役割は大谷の“露払い”である。日米通算188勝でチーム最年長のダルビッシュを、どう説得したのか。春先のWBCで、3試合目の登板は36歳には酷である。栗山の答えは、こうだった。

「決勝戦の日、球場に行ったら投手コーチがきて“ダルが行けると言っています”と……」

 

 要するにダルビッシュ自らリリーフを志願したというのだ。それはクローザーを引き受けた大谷も同じだった。かくして大谷―ダルビッシュの“ドリームリレー”が実現したわけである。

 

 プロ野球にとって大切なものは何か。それはお客さんを喜ばせることだろう――。没後弟子の栗山が三原から学んだ「大局観」をダルビッシュも大谷も共有していたからこそ、不可能と思えるプランが可能になったのではないか。

 

 ペッパーミルのパフォーマンスで一躍、人気者になった米国籍を持つラーズ・ヌートバーの代表入りに際しても栗山はリーダーシップを発揮した。昨シーズン、カージナルスで外野のポジションを射止めた25歳の能力については、誰もが認めていたが、それ以外にも理由はあった。

<「グローバル化する世の中で、そういう人たちが(仲間として)『普通にいる』ということを、子どもたちに伝える責任がある」>(朝日新聞デジタル23年1月11日)

 

 06年から始まったWBCで、日本代表に外国籍の選手が加わったのは初めてのことだった。

 今回のWBCで唯一、不満があるとすれば「最優秀監督賞」が設けられていなかったことだ。短期決戦は監督の手腕が物を言う。ぜひ、次回大会では創設を検討してもらいたい。

 

 冒頭で「ユニコーン」について述べた。これは一角獣とも呼ばれる架空の動物で、唯一無二を意味する。

 ビジネスの世界では、評価額が10億ドル(約1313億円)以上の、主に非上場のスタートアップ企業を指す。

 安定志向が強い若者が多く、ために起業家が育ちにくいと言われる日本は、この分野で世界から大きく後れをとる。

 

 そんな中、ベーブ・ルース以来といってもいい二刀流を引っさげて渡米し、米国を席捲したばかりか、今回のWBCで圧倒的なプレゼンスを発揮した“和製ユニコーン”の存在を、世界はどう見たのか。

<「野球」と書いて「大谷」と読む。もう野球そのものだ。日本優勝の最初から最後まで大谷がWBCを作った>(韓国スポーツソウル)

<私たちは大谷が野球に与えた影響を、この先もずっと忘れない。孫に大谷という天才の存在を語り継ぐ>(米国FOXスポーツ)

 

 WBCという舞台が大谷を輝かせたのか。大谷の躍動がWBCを魅力あるものにしたのか。どちらも然りだろう。3年後に向け、物語は再び動き出す。

 

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