年年歳歳花相い似たり、歳歳年年人同じからず――ちょっと気どってエッセイでも書こうかというとき、これほど便利に、頻繁に引用されてきた言葉もあるまい。これが出てくるだけで凡庸でステレオタイプな文章と断じてもいいくらいだが、恥ずかしながら、つい使ってしまいました。世の中は毎年何も変わらないように見えるけれども、人って結構変わるもんだ、ということですよね。よく知らないが。
 そう。人は変わらないようで変わるものなのである。
 松坂大輔は、西武球場(旧称)で何度も見てきた。球場で見ていてよくわかるのは、2005年あたりから、ストレートはかなり高い確率で痛打されるようになったということである。しかも、それは150キロを超えるような豪速球ではない。せいぜい144〜145キロ。それでも、大量失点することはめったにない。ストレートを見せ球に、変化球できっちり抑えられるからである。

 西武ライオンズ時代の松坂は、押しも押されもせぬ大エースであった。彼は1年間ローテーションを守って、しかも完投することがエースの使命だと考えていたに違いない。130球も140球も投げて完投したことも一再ではない。となれば、よもやすべてのボールを全力投球するわけにはいくまい。どんな鉄腕といえども、肩は消耗品である。
 8分の力でストレートを投げ、変化球をコントロールし、完投を目指して年間15勝をノルマとする。誰にも文句のつけようのない投球スタイルである。ただし、年に一度の野球観戦が、たまたま松坂の登板日に当たったラッキーな観客の、まだ見ぬ豪速球へのワクワクするような期待感を除けば……。正しくて立派だけど、見る側にはそんなに面白くはない。全力投球はピンチのときだけ。それでも彼の実力をもってすれば、どこの球団でも抑えられる。相手打線の力量のほかに、もちろん、横浜高校以来の積年の蓄積疲労もあったのだろう。だから責任は決して松坂にあるのではない。ただ、ここ数年、ペナントレースでの松坂の試合が、弛緩した空気に支配されていたのは事実である(プレーオフやWBC決勝のような試合は別ですよ)。

 さて2007年、ボストン・レッドソックスに移った松坂大輔はどうか。
 象徴的な試合がある。4月23日(日本時間)、場所はボストンの本拠地フェンウェイパーク。今季初めて、かのニューヨーク・ヤンキースと対戦した試合である。ヤンキースはご承知のように投手陣が壊滅状態で地区最下位に沈んでいる(5月1日現在)。しかし、この日までのヤンキース打線は絶好調であった。デーモン、ジーター、アブレイユ、A・ロッド、ジアンビ、カノー、この1番から6番までが揃いも揃って打ちまくる(ポサダと松井秀喜は故障で不出場)。A・ロッドなど4月の月間ホームラン記録を塗り替えそうな勢いだった。1人の打者ではなく打線として考えた場合、このときの1番から6番までのヤンキース打線は世界一と断じて間違いない。

 では、世界一の打線に松坂はどう挑んだか。あまりにも見どころ満載で書ききれないので、3回裏の投球に絞る。初回に2点を失って迎えた3回、デーモン、ジーターを出していきなり無死1、2塁。ここからである。まず3番アブレイユ(左打者)。
 �外角高目ストレート ファウル
 �内角低目スライダー ファウル
 �外角高目スライダー ボール (すっぽ抜け)
 �外角高目チェンジアップ(?) ボール (すっぽ抜け)
 �外角高目チェンジアップ(に見えたのだがスローで見るとフォーク) 三振!

4番A・ロドリゲス(右打者)
 �外角低目スライダー ボール
 �低目のチェンジアップ ストライク
 �外角高目カーブ ファウル (外し気味)
 �内角低目スライダー 見逃し三振!

5番ジアンビ(左打者)
 �外角低目ストレート ストライク
 �外角高目ストレート ボール (はずし気味)
 �真ん中のカットボール ファウル

 カウント2−1。ここでスタンドが自然発生的にスタンディング・オベーション状態となる。そりゃそうだ。ボストンのファンからすれば、日本からきた130億円の男が、宿敵ヤンキースの3、4、5番を3連続三振に斬ってとろうとしているのだ。さすがの松坂も、この歓声には思わず動揺して、マウンドを降りて呼吸を整えた。
 �外角低目シュート ボール
 �外角低目シュート ボール
 �スライダー どんづまりのフライだったが、セカンドオーバーとなってタイムリー

 そりゃ3者三振にとってほしかったけれども、あの歓声を聞いて捕手バリテックが安全に三振をとりに行こうとし過ぎたきらいがある。外し気味に外角低めにストレート系のボールで誘った4球目はいいとして、同じ球種で三振を取りにいった5球目が、投手としては投げにくい配球だったのではないか。4球目より中に入れてはまずいという意識が働いたぶん、大きく外れた。これで2−3だから、6球目はもっとも確率の高いインローのスライダーしか選択肢がなくなってしまった。かろうじて当てられたけれども、三振と紙一重。完全に打ち取った当たりでした。

 ついでに5回裏のA・ロッドへの3球も記しておこう。
 �外角低目フォーク 空振り
 �外角低目スライダー 空振り
 �外角低目スライダー 空振り三振!

 ただし、8回裏のA・ロッドに対しては、内角低目にカーブ、ストレート、ストレート、カットボールときてカウント2−2。ここからバリテックは高目のストレートを要求。このストレートがやや低く入ってライト前に運ばれた。ここで降板。

 長々と配球を書いてきたが、ここから言えることがある。左打者は外角のチェンジアップを基本線に、右打者は最終的にはスライダーで打ち取ろうとしているということ。そして、それは世界一の打線に対しても十分通用するということだ(いずれも、時としてフォークを代用する)。
 ただし、A・ロッドの打席を見ればわかるように、タテに鋭く曲がるスライダーがコーナーに決まれば打てないが、甘くなるとどの球種も痛打される。8回の最後のストレートが象徴的だろう。狙い通り高めに外すか、あるいは高目ギリギリなら、多分三振だったのである。しかし、ちょっと低く入ったので、いとも簡単にヒットにされてしまった。これ、150キロ超のストレートだから、日本だと抑えきっていた可能性は高い。

 つまり、松坂は、世界一の打線に対して、ギリギリで通用しているのである。ちょっと甘くなると打たれる。その反面、狙い通りに投げれば、バッタバッタと三振を奪うこともできる。いわば三振と痛打が背中合わせになっているのだ。
 見る側から言えば、これほど面白いピッチャーはいない。
 甘くなれば打たれるのは当たり前じゃないかと反論されそうですね。それは違います。

 例えば、ブルージェイズにバーネットという投手がいる。一度はごらんになった方がいい。長身で細身、手足が長い(193センチ、104キロと選手名鑑に書いてあるが、もっと細身に見える)。その長い手足を利して、しなやかに、印象としてはさして力むことなく投げてくる。で、平均球速が155キロくらい。とにかく速い。チェンジアップもスライダーも投げるが、それはまあ、変化球も投げますよ、という程度で本人も大した思い入れはないだろう。この人は、たんたんと速球を投げ込んで、楽々と抑えます。普通に投げていれば抑えられる。もちろん、一応、内外角を狙ってはいるが、たまに中に入っても、そこはボールの力でなんとかなる。

 あるいはヤンキースの王健民。去年19勝した台湾の英雄も、恵まれた体(こちらは191センチ、100キロとなっている)から、ゆったりと腕を振る。さして力んだ投げ方には見えない。でもって、チェンジアップが152〜153キロ出ている。球速はストレートとたいして差がない。彼はひたすらこの沈む速いボールを投げ続け、ひたすら凡打の山を築く。生命線はコーナーに決まるかどうかではなく、いかに速くて沈むかである。

 誤解しないでいただきたいが、バーネットや王健民がいつも必ず抑えているわけではない。打たれるときは打たれる。打たれる原因が、やや甘く入ったか否かにあるのではなく、その日のボールの力にあるということだ。いってみれば、彼らは去年までの西武ライオンズの松坂のように投げているのだ。悠然と相手を見下ろして投げているが、時として悠然と打たれたりもする。スリルには乏しい。

 松坂は彼らよりは体格が劣る(同じく183センチ、86キロ)。手足も短い。球速もやや劣る。下手すりゃ打たれる。それを技術で補おうとしている。
 だから、左打者には高目のストレートを見せておいて、そこから落ちるチェンジアップで勝負(アブレイユの3回)とか、右打者にはインローを攻めて外角高目のストレートで勝負(A・ロッドの8回)とか、外角高目に外しておいてインローのボールからストライクに切れ込むスライダー(A・ロッドの3回)で勝負とか、いわば知力を尽くした投球を見ることができる。ついつい、気分は野村克也さんになってしまって、オレなら次は……とか妄想にもふけることもできる。
 しかもうまくいったら、かなり高い確率で三振。ひとつ間違えば痛打。投球スタイルは体全体を使った全力投球。こんなにスリリングで面白いピッチャーはいません。

 よく知られているように、メジャーリーグの先発は中4日で100球前後がメドになっている。先発は6回までを2〜3失点に抑えて1年間ローテーションを守る役割だ。松坂はこれまでいずれの登板も続投を志願しながら、なだめられて交代しているようだ。
 それでいいのだ。100球に制限されているから、毎試合、ストレートを全力で投げることができる。だから、いわゆる4シームの純然たるストレートを投げる時、今年はほぼ確実に150キロを超えている。8分の力で、などという余計なことは考えないで済んでいるのだ。去年までの立派な投球より、少なくとも魅力的である。付け加えれば、150キロを超えれば、メジャーの中でも別に遅いほうではない。

 例にとった試合は、相手がヤンキースの世界一打線だから、ギリギリで通用する面白さを強調しすぎたかもしれない。もう少し力の落ちる打線なら(そういうチームはたくさんある)、もう少し楽に抑えることができるだろう。
 ただ、何よりも、去年までの正しくて立派すぎる大エースが、三振と痛打の狭間で緊張感ある勝負を挑み続ける、最もスリリングで面白い投手の一人に変貌したことを喜びたい。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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