メジャーリーグで今一番注目されている日本人選手は誰だろうか。残念ながらアメリカに行ったことがないので、かの地の風土はよく知らないのだが、きっとダイスケ・マツザカではないだろう。もちろん、ヒデッキー・マツイでもない。おなじヒデッキーでも、レッドソックスの岡島秀樹なのではないだろうか。
 なんたって4月の月間最優秀新人賞に輝いたわけだし、例えば5月30日(日本時間)のインディアンス戦では、9回にコールされると、地元フェンウェイパークに自然発生的に「オカジマコール」が起きたほどだ(この日はクローザー・パペルボンが休養のため、最終回の登板で4セーブ目を挙げた)。

 今や日本の野球ファンの中の“絶滅種”とも噂される巨人ファンの皆様、懐かしい名前ですねぇ(巨人ファンの衰退については、むしろ視聴率がどうのこうのと理由をつけて早々に中継を縮小したりする読売経営陣の問題でもあるので、別に論じたい)。巨人時代、岡島がこんなに連日ビシッと抑えていた記憶ありますか? ないよね。クローザーを任されるのかなと思ったら中継ぎになったり、たまに先発に回ったり。いずれにせよ、大きなカーブは魅力だけれども、最終的には打たれる投手だった。

 よく言われる解説は、去年、北海道日本ハムでマイケル中村へつなぐ左のセットアッパーとして、役割を固定して使われたおかげで、8回というイニングを抑えるコツを覚えた、というもの。そうかなあ。確かに、去年は左のセットアッパーとして活躍しましたよ。しかし、結構打たれるケースも見たけどなあ。それがレッドソックスに行ったら、いきなり19試合連続無失点ですよ。いったい岡島に何が起きたのか。

 あえて、連続イニング無失点が20回3分の2で止まった5月23日(日本時間)のヤンキース戦を振り返ってみたい。
 この日、7−2とヤンキースを大きくリードした8回に、岡島は登板した。問題は捕手バリテックのリードである。5点もリードしているうえに、相手ヤンキースのボロボロのリリーフ陣を考えれば、明らかに楽勝だ。おそらく、ここはいつもと別の岡島を見せておこうと考えたのだろう。あるいは、もっと単純に、楽に抑えさせようとしたのかもしれない。とにかく、サインが全てストレートだったのである。

 先頭の1番・デーモンには、全球ストレートを続けてレフトフライ。2番・ジーターにもストレートを続け、1球チェンジアップを挟んで、またインローにストレートを2球。その2球目をきれいにセンター前に打たれた。いくらなんでも、ジーターにあのストレートは通用しません。
 3番・松井秀喜。ここでようやくカーブを2球(ボール)。ストレートとチェンジアップで2ストライクをとったが、再びストレートを続けて、結局四球。巨人時代にこの二人が仲が良かったのかどうか知らないが、岡島は明らかに投げにくそうだった。

 さて、事件である。一死一、二塁で打者は4番・A・ロドリゲス。一発出ればあっという間に2点差になる。しかも、打たれても何の不思議もない打者だ。やばい。初球のカーブは大きくスッポ抜け。明らかに動揺した岡島は、四球を出して一死満塁にしてしまう。
 およそピッチャーという存在の真価が問われるのは、ここからである。これを抑えたら一流投手への道が開ける。ここで打たれるようなら、まあ、しょせん巨人時代の岡島とたいして変わらないと思ってさしつかえない。

 打者は5番・ポサダ。この時点での首位打者である。いくら満塁とはいえ、ストレートを続けている場合ではない。しかし、押し出しも恐い。岡島はどう投げたか。
 チェンジアップ、カーブ、ストレートと投げ分けて、最後に投げたカーブは低目に見事に曲がり落ちた。ポサダ、これを打って出てサードゴロ。5−4−3の併殺成立かと見えたが、惜しくも一塁がセーフになって1点失ったのでした。あー、惜しいなあ、もう少しでチェンジだったのに。そんな気持ちで続く6番・アブレイユに対したはずである。
 それが証拠に、いきなり2球ボールが続いてカウント0−2。ここで打たれても、やっぱり二流の道へ逆戻りである。3球目。チェンジアップが見事に落ちて、セカンドゴロ。チェンジになったのでした。

 このシーンで注目すべきは、まずバリテックの無茶なストレート攻めである。いくら点差があっても、岡島はストレートで押す投手ではない。カーブとチェンジアップにたまにストレートを混ぜてナンボのピッチャーである。そんな投手がストレートばかり投げ続けると、いざ、変化球を投げるときに腕の振りがおかしくなる。その結果、曲がらなかったり、コントロールがつかなくなったりする。ピッチャーとはそういう生き物である。したがって、この日のバリテックのリードは、あまりにも捕手の発想を優先した、投げる側にはとてもやりにくいものだったのだ。だから、松井にあわてて投げ始めたカーブが大きく外れたのである。

 ただし、見るべきはこの後だ。ポサダへの最後のカーブはきっちり低目に決まったし、アブレイユへの最後のチェンジアップも低めに落ちた。この2球によって、岡島は自力で自らの窮地を脱出してみせた。A・ロッドの四球の間に、本来の自分に戻ることができたのである。ここが、このシーンのすごいところだ。なぜなら、この2球で、岡島は交代を告げられてベンチに下がるのではなく、自力でそのイニングを終わらせて戻ることができたのだから。いわば、ベンチへ生還したのである。

 例えば、松坂大輔がやはり一流と言えるのは、このようにビッグイニングをつくられそうになっても、あるいは実際に失点しても、そのイニングの3つ目のアウトを自力で取ってベンチに帰る能力があるからである。おそらく巨人時代の岡島なら、ポサダに打たれていたはずだ(そんなシーン、何度も見た覚えがあるでしょ)。ここに岡島がメジャーで通用する所以がある。

 岡島の快進撃を支えているのは、今季から覚えたチェンジアップだというのは、今や常識に属する解説である。ただし、もっと注目すべきは彼がメジャーの使用球をいじっていて身に付けたというそのチェンジアップの質である。
 松坂、井川慶(ヤンキース)の二人は、日本にいるときに既にチェンジアップをマスターしていた。井川は実際に決め球にしていたし、松坂も多用はしなかったが、ピンチでは結構この球で抑えていた。

 ところが、いざメジャーに行って二人を苦しめたのが、実はチェンジアップである。つまり、日本のボールのようにうまく落ちないのだ。松坂は明らかにメジャーの左打者対策で西武時代から練習していたが、結局、思うように落ちない日の方が多く、仕方なくフォークに切り換えている。井川に至ってはマイナー落ちしてしまった(それにしても、マイナーのコーチが教えたという新フォームはひどいですけどね)。

 この二人と岡島のチェンジアップには違いがある。松坂も井川も、左打者(井川なら右打者)の外角に逃げるようにして大きく落とすが、岡島のは落差が小さい。その代わりに、途中までストレートに見えて、スッと落ちる。一時期はやったスプリットフィンガード・ファストボール(SFF)の感覚ですね。

 松坂は完璧主義者の投手である。だから、チェンジアップも本来のこの球種の意味を体現するように、大きく外へ逃げながら落ちるべきだと考えて、その球道を追求する。岡島の球歴を考えれば、松坂ほど全てに完璧な結果を求められてきた投手ではない。その分、ストレートの軌道から急に小さく沈むチェンジアップでも、自分の活路を切りひらくボールとして、納得できたのではないか。もちろん、このボールで生き抜くには、ストレートと同じように鋭く腕を振って、打者に途中までストレートだと思わせる、という今の投げ方が必須なのだが。

 さてさて、岡島ほど話題にはならないが、日本でも、今季、優れたセットアッパーが誕生した。広島カープの梅津智弘である。梅津の場合、岡島よりもさらに、なぜ打たれないのかを説明しにくい投手である。だって、右横手から、せいぜい135キロのストレートとスライダーを基本にする投手ですよ。打たれても何の不思議もない。ところが、開幕以来、安定してセ・パの強打者を抑え続けている。梅津の8回なくして、広島カープのAクラスは、ありえない。

 例えば、5月30日のロッテ戦。序盤3点リードしたカープが、7回に逆転を許して4−3で負けた試合である。それでも、1点差だから、8回、9回は梅津の時間である。見ていて楽しいですよ。
 8回で面白かったのは、一死から代田建紀にヒットを許して一死一塁。ここで打者は西岡剛。この俊足コンビを見れば、バレンタイン監督のやることは一つ。エンドランである。代田走った。梅津、外角高目にストレート。打った西岡、ショートゴロ。梵英心が自分で二塁に入って一塁送球、アウト。ダブルプレー! 繰り返すが、俊足・代田、西岡のエンドランをダブルプレーである。これは気持ちいい。

 9回には、売出し中の青野毅に初球、ド真ん中の132キロのストレートが、キャッチャーフライ。続く福浦和也には粘られたが、6球目、インローのストレートで空振り三振! ちなみに福浦は日本球界を代表する左の強打者である。完調なら、日本代表の3番でもいいとさえ思う(ちょっとイチローっぽい打者ですね)。そんな打者が、なぜ、たかだか135キロのストレートに、まったくタイミングが合わないのか。

 一つには、投球フォームのリズムだろうと思う。左足とワインドアップする両腕を、同時に高く上げる。それからタメを作って投げにいく。このフォームのリズムが今年は非常に安定しているのだ。もうひとつ、クイックのタイミングで上げるフォームと使い分けているが、まあ、そこから先は梅津の企業秘密でしょう。

 梅津の投手としての唯一最大の武器は、長身で手足が長いことである(この点では、松坂や岡島よりも全然上だ)。あの、左足と両腕をシンクロさせるように同時に大きく上げるフォームが、長い腕を最大限に伸ばして、一番前(打者寄り)でボールを放すことを可能にしたのではないか。結果としてボールを放す位置と打者との距離が、他の投手より短いから、130キロ台でも打者は打ちにくいのだろう。

 もうひとつつけ加えておきたい。どうやら投げる前に、おまじないのように、ブツブツ何事かつぶやく儀式を始めたのである。精神集中の儀式なのだろう。これで思い出すのは、NBAのマイケル・ジョーダンや、カール・マローンが、フリースローの前に必ず口の中で何事かつぶやいてから投げていた姿だ(ちなみに、二人ともフリースローの確率はきわめて高かった)。ぶつぶつ言ってないで早く投げんかい、というご意見もありましょうが、梅津程度の球威では、1球のコントロールミスが致命傷になる。1球1球、ギリギリのところで勝負しているセットアッパーですから、このおまじないも、彼の投球フォームのリズムのひとつと理解してあげたい。

 プロ野球の最大の魅力は、160キロに迫る豪速球であり、130メートルも飛ぶ大ホームランである。岡島や梅津は、そんな化け物のような才能に恵まれずに生まれてきた。だからこそ、彼らのボールには、誰のものとも違う独自の生き抜く知恵が込められてている。日米に、鑑賞に価する日本人セットアッパーが生まれたことを喜びたい。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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