ヴィッセル神戸のファン・サポーター、選手、スタッフの皆さん、Jリーグ初制覇、おめでとうございます。最終節を残し、2位横浜F・マリノスに勝ち点4差をつけて優勝をきめました。年間を通じて大崩れせず、安定した戦いぶりは見事でした。

 

 スターが抜けて、責任感が増した

 

 昨季の途中から吉田孝行監督が指揮を執り、ポゼッション志向からハイプレスとカウンターに舵を切りました。今季もそのスタイルを踏襲し、長いシーズンを走り切りました。

 

 前線の選手の運動量がモノをいう戦術です。運動量に陰りが見えていたMFアンドレス・イニエスタが出場機会を減らし、出場機会を求めて、夏に退団しました。イニエスタをレギュラーから外したことで、その他の選手たちに自覚と責任が芽生えたように感じます。頼れる存在がいなくなったことが結果的にプラスに働きました。

 

 特に22得点(33節終了時点)で得点ランキングトップにつけているFW大迫勇也は「自分がチームを引っ張らないと」とより一層、思っているでしょう。ゴールという結果も出ていますし、7アシストも立派です。ウイング起用が多いFW武藤嘉紀も10得点10アシストと攻撃をけん引しています。

 

 今季、神戸の1試合平均のボール支配率は50.3%。持ちすぎず、相手にも持たせすぎずでカウンターを仕掛けるにはちょうどいいのではないでしょうか。パスを細かくつなぐよりシンプルに縦に攻めるスタイルが奏功しています。みんなが汗をかいている、非常にいいチームです。本当に、おめでとうございます。

 

 アジア二次予選がスタート

 

 今月から2026年北中米W杯アジア二次予選が始まりました。日本代表はミャンマー代表、シリア代表相手にともに5対0で快勝しました。ミャンマー戦は前半の早い段階(11分、上田綺世)で得点を奪えたことが大きかったですね。ミャンマーは失点しても、前には出てきませんでした。負けてもいいからできる限り失点をしたくなかったのでしょう。ミャンマーは6バック、7バックの布陣でした。枚数が多いだけで、誰が奪いに行き、誰がサポートに行く、といった役割がはっきりしていなかった。人数が多いわりにボランチのDFラインの間を空けるなどのミスが目立ち、そこのスペースをいかし、MF鎌田大地がミドルを決めました。

 

 最後に僕のシニアサッカーの話題を。11月26日にオーバー50のチームで練習試合を行ってきました。相手は人数が足りなかったようで数名、40代の選手が入っていたようです。25分ハーフで僕はフル出場を果たしました。2点のビハインドから味方のFWが頑張ってくれて2点を返し、2対2の引き分け。こちらは56~59歳が中心のチームです。前半の若い選手たちのスピードにはやっぱり、なかなか追いつけない(苦笑)。ですが、最後は引き分けに持っていけました。若い選手相手にも、やり方次第でオレたちは何とかできるんだと、チームは自信を深めました。

 

 今年は12月3日、と10日に千葉県の交流戦をこなし、僕の今シーズンは実質終わり(12月30日に、母校でOB会がありますが)。翌年1月にはJFAシニアフェスティバル in 千葉 ~千葉県高校サッカー部OB交流フェスティバル~が控えています。前回は700名が参加しました。今回はなんとその倍近くの参加者を見込んでいるそうです。特にオーバー40のエントリーが急増したようです。40代だけ2日間に分ける案もあるほど。サッカーが生涯スポーツになりつつある現状が僕はとても嬉しいです。やっぱり、いくつになってもプレーを楽しみたいものですね。皆さんもぜひ、サッカーをエンジョイされてみてはいかがでしょうか。

 

●大野俊三(おおの・しゅんぞう)

<PROFILE> 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザの総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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