誰が考えたのか知らないが、見る側にまで痛みが伝わってくる絶妙なネーミングである。その名も「脳天唐竹割り」。

 

 

 ジャイアント馬場が得意にした必殺技のひとつで、「16文キック」や「32文ロケット砲」とともに、この不世出のレスラーの代名詞でもあった。

 

 技のかけ方は至って簡単。相手の頭を左手でおさえ、大きく振りかぶった右手を、そのまま脳天に垂直に打ち付けるのだ。

 

 今、改めてその写真を見ると、馬場の巨人時代の投球フォームにそっくりであることに気が付く。2メートル9センチの長身から、ボールのかわりに手刀を振り落としていたのだ。

 

 では、馬場がタイトルマッチで初めて、「脳天唐竹割り」を披露したのはいつか。プロレスライターの小佐野景浩によると、今から58年前の1965年11月24日のことだ。

 

 場所は大阪府立体育館。ディック・ザ・ブルーザーとのインターナショナルヘビー級王座決定戦で、“伝家の宝刀”を抜いたのだ。

 

「ブルーザーは筋肉の塊で、どこを殴っても効かないから、脳天ぐらいしかないだろうと思ってやった」

 

 これが馬場のコメントである。

 

 しかし、これを額面通りに受け止めることはできない。

 

 当時のプロレス界には、「師匠の必殺技を、勝手に使ってはならない」という不文律があったからだ。

 

 脳天唐竹割りの原型とも言える空手チョップは、言うまでもなく力道山の代名詞である。力道山は暴力団員に刺された傷が原因で63年12月15日に世を去るが、もし生き永らえていたら、この技は生まれなかっただろう。

 

 というのも短駆の力道山は、相手の胸に空手チョップを打ち込むことはできても、脳天に手刀を振り落とすことはできなかった。加えて言えば、弟子の技の方が豪快で見映えもいい。そんな技の使用を力道山が許可するはずがない。

 

 では、脳天唐竹割りの実際の破壊力は?

 

 ここぞという場面で、馬場は手刀ではなく、小指側の出っ張った骨、すなわち尺骨茎状突起を相手に叩き付けたというのだ。言ってみればトンカチで殴られるようなものだ。晩年の馬場と対戦した垣原賢人から、こんな話を聞いたことがある。

 

「あの技は恐ろしく効いた。ボクシングだって、脳天と後頭部への攻撃は禁じられている。3メートル以上の打点から、一番ゴツくて硬いものが振り落とされるんです。あれほど危険な技はない」

 

 脳天唐竹割りは“人間凶器”そのものだった。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2023年12月12日号に掲載された原稿です>

 


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