第264回「海外移籍の足掛かり」~楽山孝志Vol.17~
2009年シーズン、楽山孝志はジェフユナイテッド千葉からサンフレッチェ広島に完全移籍した。ミハイロ・ペトロビッチが率いる広島は、圧倒的な力でJ2を勝ち抜き、このシーズンからJ1昇格を決めていた。
広島での生活は本当に楽しかったと楽山は振り返る。
「ぼくが生まれ育った富山に少し似ていて、広島には山も海もある。魚が美味しいんです」
中国地方は自動車道が整備されており、空き時間には近隣の観光地に出かけることもあった。
「砂丘を見に鳥取へ行ったり、ちょっと美味しいうどんが食べたくなり、讃岐(香川)まで行ったりしました。近くに温泉も多いのも良かった。高校で静岡、大学で愛知、その後、千葉に住みましたが、広島が自分に一番合っていたかもしれません」
2009年シーズン、楽山はJ1で17試合(リーグ戦14試合、カップ戦2試合、天皇杯1試合)に出場、広島は4位という好成績を残した。
ところが――。
11月のある日のことだった。楽山はクラブ関係者から呼ばれ、来季の契約はしないと告げられた。
このとき楽山は29歳だった。 まだまだ身体は動き、サッカー選手として能力は落ちていない。サッカーを辞めるつもりはなかった。まずは、契約のない選手を対象とした日本プロサッカー選手会とJリーグが合同で運営するトライアウトに参加した。
2008年のリーマンショックもあり、多くのクラブが契約選手を絞っていた。この年のトライアウトには、日本代表経験のある中山雅史、久保竜彦なども参加している。トライアウトの中心は30分の紅白戦である。どの選手も数少ない時間の中で自分の持ち味を出そうとするため、抜きんでることは難しい。トライアウト後、獲得打診の連絡はなかった。
「あと何年、現役をできるのかと漠然と考えていましたね。過去に選手として色んな国にキャンプや遠征で行きました。実はぼく自身、旅行はあまり好きではなかったのですが、妻が色んなところに行くのが好きだった影響と、当時東南アジアに日本の選手が行き始めていた時期が重なり、サッカーを通して他の国を見てみたいと強く思うようになりました」
そんなとき知り合いの選手からシンガポールリーグのチームがトライアウトを行っていることを聞いた。
「その人から行ってみたらどうかと促され、数日後に現地に向かいました」
馴染みのあったトルコ・アンタルヤ
するとクラブの関係者はなぜ来たのかと不審な顔をした。トライアウト期間が終わろうとしていたのだ。ともかく楽山はトライアウトに参加することにした。
「トライアウトを受けるのを手伝ってくれたシンガポール協会の人がたまたまグラウンドで見ていたんです。そして何故君はシンガポールに来たんだい? タイのプレミアリーグならば給料が2、3倍上だし、君はそっちでプレーできるよ」と言われました。
しかし、調べてみるとタイの移籍期間も終わろうとしていた。そこで帰国して、代理人に相談することにした。
「欧州圏に行くとすれば、自分のレベルで可能性があったのはギリシャ、ベルギー、ドイツ2部の下位とか3部になる。家族がいるので待遇面も考えなければならない。ドイツでなくて、東欧ならばどのレベルのクラブに行けるか、そういう話もしましたね」
サッカーは世界各国で愛されている競技である。自分が一歩踏み出せば、知らない世界を知ることができる。
「そしてどうせ行くなら、日本人が行ったことのない国、もしくは少ない国に行って見たいと考え、代理人にその旨を伝えチームを探してもらいました」
ある程度の年俸を払えるクラブが存在し、当時日本人選手が少なく、現地でプレーしていない国の候補として代理人が挙げたのは、オーストラリア、インド、ロシアの3カ国だった。
「オーストラリアの移籍シーズンは夏だから候補から外れました。ロシアはギリギリ間に合うと連絡をもらいました」
ロシアは広く、厳しい寒冷地が含まれている。そのため、他の国と違ったリーグ日程を組んでいた。冬の時期、ロシアのクラブはトルコでキャンプを張るのが常だった。そこで楽山はトルコのアンタルヤに向かうことになった。
アンタルヤと聞いて、楽山はあっと思った。イビチャ・オシムが監督を務めていたジェフ時代、そしてペトロビッチ監督の広島時代のキャンプ地がアンタルヤだったからだ。馴染みのある土地に行くことが彼の心を軽くした。
しかし、地中海に面したトルコ屈指の観光地で楽山は、ロシアの手荒い洗礼を受けることになる――。
(つづく)
■田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。
2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com