引退試合も「脇役」に回った橋本英郎の美学
主役なのに、いつの間にか脇役に回っていた。
昨シーズン限りで引退した元日本代表・橋本英郎の引退試合が12月16日、パナソニックスタジアム吹田にて開催された。2005年にガンバ大阪がJ1初優勝を果たした「ガンバ大阪`05」、そして同じ時代に日本代表でともにプレーした「日本代表フレンズ」を結成して、それぞれ中心となったメンバーを橋本が呼び集めた。
前半、「日本代表フレンズ」に入った橋本にボールが集まって2ゴールを挙げたものの、後半は橋本のいる「ガンバ大阪`05」、が大爆発する。大黒将志が4ゴールを奪い、2005年得点王の46歳アラウージョも得点を決めて懐かしの“ハチマキパフォーマンス”まで披露。西野朗監督が指揮を執り、主役はあのときのガンバそのものだった。おいしいところを譲るかのように後方支援に回る橋本の姿は、現役時代を彷彿とさせた。
スーツ姿で会見場に入ってきた彼は背筋を伸ばして、こう語った。
「僕は脇役のプレーヤー。2005年に優勝した際、西野監督に“影のMVP”と言ってもらえたように、要は“影”がつく。前に出ていく選手じゃないってことが、結果的に長いサッカー人生を歩めたんじゃないかなって思うんです。試合の途中で、バン(播戸竜二)か誰かが“これだけの選手がいたら自分の活躍がかすむ”っていう表現をしていました。僕はどちらかと言うとああいうメンバーと一緒にプレーしてボールを蹴る楽しさ、彼らが活躍しているのを一番の特等席で見ること(を味わいたい)。
ヤット(遠藤保仁)がFKを蹴る瞬間、ピッチ上でしか見られない角度で(見る)経験を現役のころにさせてもらいました。この試合でも実際に経験したいなと思い、(本田)圭佑にも来てもらいました。イン巻き(のシュート)で上を越えましたけど、ああいうシーンは見覚えがあって(日本代表のときに)ヤンマースタジアムで決めている記憶があります」
特等席で、仲間のいいプレーを見る。それが引退試合でぜひともやっておきかったことでもあった。“〝影”を受け入れ、“影”を楽しむ橋本らしい引退試合だったように思う。
「アラウージョが必死に全盛期のころのプレーをしようとしているのがひしひしと感じることができて楽しかった。足もとはおぼつかなかったですけど(笑)」
2005年のガンバ大阪への強い思い入れ。あのとき川崎フロンターレとの最終節において持ち前の攻撃サッカーで4-2と打ち勝ったゲームが記憶によみがえった人も多かったはずだ。左足で決めたアラウージョの先制点があまりに鮮やかだったことを。
対戦相手として戦った中村憲剛には、この試合でも相手側に入ってもらったという。意味合いまで本人に説明しており、いろいろと細かいこだわりまで反映させていた。
個人的には後半の「ガンバ大阪`05」で遠藤とボランチを組んだことが涙腺ポイントであった。遠藤のポジショニングを見ながら動いていく様が、実に楽しそうで、気持ち良さそうで。
背番号「7」と「27」のパス交換を眺めながら、かつて橋本が遠藤について話をしていたことを思い出した。
「ヤットに任せておいたら、ボールはある程度回る。だから彼がやりやすいように、僕はフォロー役というか黒子に徹するようにしていました。ボランチを組んだら、僕のほうが守備を全面的に意識して、ボールを持ったヤットがプレッシャーを受けたらフォローする。僕が散らしている間に動いていいポジションを取ってもらうとか、そういった(中盤の)関係性でしたね。
相手も対策を取ってくるけど、遠藤を抑えても二川(孝広)がいる。その逆もある。パスの出し手が2人いると攻撃を抑えられないんやなというのは実感できましたね」
この日は二川も駆けつけていた。背番号「10」のさすがのテクニックに、これまた嬉しそうにしていたのが橋本だった。
引退後の橋本は指導者の道に進んでいる。現在JFA指導者A級ライセンスまで取得し、大阪・履正社高、大阪大谷大などでコーチを務めている。西野、岡田武史、イビチャ・オシムの3人に大きな影響を受けたことを会見でも語っており、将来は監督としてJリーグの舞台に戻ってくるという目標を持つ。
周りを輝かせ、細部まで徹底的にこだわる「脇役」としての美学。指導者になってもそれは必ずや活きるに違いない。