5万3264人の大観衆を集めて東京・国立競技場で行われた東京ヴェルディ対清水エスパルスの昇格プレーオフ決勝は、後半のアディショナルタイムにヴェルディが1対1と追い付き、16年ぶりのJ1復帰を果たした。

 

 

 スリリングなゲームだった。まずは後半16分、ヴェルディのキャプテン森田晃樹がハンドの反則を犯し、PKで先制を許した。

 

 互いに決め手を欠き、このままエスパルスが逃げ切るかと思われた後半のアディショナルタイム。ペナルティーエリア内で高橋祐治がヴェルディの染野唯月を倒す痛恨の反則。これを染野が落ち着いて決め、1対1の同点に。規定によりシーズン成績上位のヴェルディがJ1昇格を決めた。

 

 実はこのカード、92年11月23日、第1回ナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝戦でもある。場所も同じ国立競技場。

 

 翌年の春にはJリーグが開幕するとあって、入場者数に注目が集まった。Jリーグの出だしを占う上での試金石と考えられた。

 

 驚くことに超満員の5万6000人。スタンドはヴェルディの緑の旗とエスパルスのオレンジの旗で埋め尽くされた。その光景を目のあたりにして、「Jリーグは間違いなく成功する」と、私は確信した。

 

 試合は、カズのゴールでヴェルディが1対0で勝ち初代王者となった。

 

 あれから31年、いわゆる「オリジナル10」のクラブが、J1昇格をかけて戦うなど、夢にも思わなかった。

 

 ヴェルディの前身である読売クラブは、日本で初めてプロ化を目的として設立されたクラブである。

 

 元日本代表で、後にヴェルディの監督を務めた小見幸隆は<読売クラブ結成>という読売新聞の社告を見て応募した。すぐに「5番」という会員番号が送られてきた。高2の秋のことである。

 

 実業団チームが主体の日本リーグにあって読売クラブはアウトサイダーだった。

 

「チャラチャラした連中に負けるな」

 

 目の仇にされた。

「ネクタイつけて昼間、仕事しているような連中に負けるんじゃねぇぜ!」

 

 けんか腰で言い返した。

 

 Jリーグ草創期、ラモスやカズを中心に2年連続で年間王者に輝くなど隆盛を極めたヴェルディだが、親会社の読売新聞が経営から撤退した頃から輝きを失い、2009年からは長いJ2暮らしが待っていた。

 

 このクラブの最大の魅力は、小見が言うところの“やんちゃ精神”である。それを支えに来季は“緑の旋風”を巻き起こしてもらいたい。

 

<この原稿は『週刊漫画ゴラク』2024年1月5日-12日合併号に掲載された原稿です>

 


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