専門誌で高校サッカーを担当するようになったころ、わたしにはお気に入りの選手がいた。バイエルンに所属していたデンマーク代表のブライアン・ラウドルップ。重心の低いドリブル。柔らかい膝と広い視野。ドイツの人気投票で1位に輝いたのも頷けた。

 

 同じころ、高校サッカーで似た選手を見つけた。ドリブルは巧みでパスセンスもある。唯一の違いは左利きだったことだが、わたしは、誌面でその選手に、“和製ブライアン・ラウドルップ”というあだ名をつけた。

 

 雑誌が発売されて数週間後、当事者に感想を聞いてガックリきた。さぞかし喜んでもらえると思っていたのに、返ってきたのは「誰ですか、それ」という答えだったからだ。半年後、彼は“レフティー・モンスター”と呼ばれるようになっていた。

 

 あのころ、日本のトップクラスでプレーしている選手で、海外の状況に詳しい選手は稀だった。情報が極端に少なかったことも関係していたのだろうが、プレーするとサッカーと、知識としての海外サッカーは、完全に分離されていた。

 

 選手だけではない。指導者となると、その傾向はさらに強かった。徹底して70年のブラジル・スタイルを追求した静岡学園や、74年のオランダの影響を強く受けた滝川二、広島工など、例外はあったものの、ほとんどの学校では、良くも悪くも徹底して勝負にこだわる日本オリジナルのサッカーをやっていた。

 

 いまは、違う。選手はもちろん、年配の指導者であっても、海外サッカーに精通した人は珍しくなくなった。目標の設定も、練習のスタイルも、確実に世界を意識したものとなりつつある。

 

 それだけに、青森山田のやり方は際立つ。

 

 前任者の町田・黒田監督に話を聞いて強く感じたのは、「この人には目指すべきスタイルがない」ということだった。悪い意味ではない。多くの指導者が、世界のどこかのチーム、指導者を模倣しようとする中、黒田監督からは、そうした匂いが感じられなかったからだ。

 

 代わりに感じたのは、徹底した細部へのこだわり。個人的には、まず哲学や理想があり、そこを目指す手法を取る欧州の自動車造りと、ネジ1本、ビス1個にまでこだわり、結果として緻密なクルマを造り上げる日本車の違いを見るようで、実に興味深かった。

 

 そして、その伝統は監督が代わっても息づいていた。彼らは、世界を知った上でなお、自分たちの道を進もうとしている。

 

 批判の声もある。もちろん、どんなやり方にも好き嫌いはつきものだが、青森山田の場合は、「当てはまるひな型が見えない」というところも関係している気がする。そしてもう一つ、「日本人限界論」。つまり、「日本国内では通用しても、世界では通用しない」という発想である。

 

 以前であれば、わたしも諸手をあげてそうした声に賛同していた。だが、大谷翔平や井上尚弥が出現したことで、トヨタが素晴らしいクルマを造るようになったことで、気持ちは変わりつつある。日本人でもやれる。日本のやり方でもいける。このやり方も、あっていい。そう思うようになった。

 

 最後に賛否が飛び交うロングスローについて。サッカーとルーツを同じくするラグビーでは、ラインアウトの重要性が広く認識されている。不確定要素の多い競技において、計算できるプレーに磨きをかけようとする発想は間違っていない。むしろ、いずれ世界が追随するはず。そう思っている。

 

<この原稿は24年1月11日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


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