第784回 掛布雅之と殿堂 ありし日の輝き
日米通算203勝の黒田博樹、NPB史上最多3021試合出場の谷繁元信の野球殿堂入りを報じる紙面の片隅に、掛布雅之の落選を伝える記事が小さく載っていた。
<この原稿は2023年2月16日号『週刊漫画ゴラク』に掲載されたものです>
殿堂入りの競技者表彰には①プレーヤー表彰、②エキスパート表彰の2つがあり、前者は<プロ野球の現役を引退し、5年以上経過した者。その後15年間が選考対象>となる。
殿堂入りにあたっては75%以上の票を獲得しなければならない。黒田と谷繁は、この部門で、ともに79.4%の票を得た。
後者の対象は<監督、コーチを退任後6カ月を経過している者、又は21年以上前にプロ野球の現役を引退した者>。現役時代の成績はパッとしなくても監督やコーチで実績を残した者、あるいはプレーヤー表彰からこぼれたものの、記憶に残る活躍をした者などが対象となる。こちらも75%以上の票を得なければならない。
このエキスパート表彰の代表例として、2人の野球人の名をあげたい。ひとりは13年に殿堂入りを果たした外木場義郎。通算131勝は、プレーヤー表彰には少々物足りないが、3度のノーヒットノーラン(1度は完全試合)は、伝説の大投手・沢村栄治と並んでNPB最多タイ。1975年には、20勝で最多勝に輝き、広島の球団創設初優勝に貢献した。
もうひとりは、19年の権藤博。ルーキーイヤーの61年から2年連続で30勝以上を記録した。しかし、“権藤、権藤、雨、権藤”と呼ばれるほどの酷使がたたり、通算82勝に終わった。
その後、指導者に転じ、98年には監督として横浜を38年ぶりのリーグ優勝、日本一に導いた。17年のWBCでは侍ジャパンの投手コーチを務めた。門下生の多くが、引退後は監督やコーチとなり、谷繁もそのひとりだ。
今回、エキスパート表彰は2年ぶりに該当者なしとなった。昨年は阪神の元同僚で、ともに85年の日本一に貢献したランディ・バースが選ばれていただけに、掛布の殿堂入りを推す声も聞かれたが、あと2票足りなかった。巧打者であった掛布は、不動の4番・田淵幸一の西武へのトレードを機に、ホームラン打者へと変貌を遂げる。
「ヒットを打ってもファンは喜んでくれない。ホームランを打たないと満足してくれないんです。それでこそ阪神の4番だと……」
江川卓との一騎打ちは、80年代の巨人・阪神戦の華だった。
ありし日の輝き。殿堂入りは来年に持ち越された。