昨夏、一足早くパリオリンピックの代表(女子48kg級)内定を勝ち取った⻆田夏実。見る者を魅了する鮮やかな巴投げと関節技の秘密について、当HP編集長・二宮清純が聞いた。

 

二宮清純: パリ五輪(7月26日開幕)まで半年を切りました。今回32歳になる年で初出場となるわけですが、ここまでの道のりは長かったとお感じですか。

夏実 いえ、そこまで長いとは感じていないです。五輪が見えてきたのは、社会人になってからだったので。2021年の東京五輪には出場できませんでしたが、五輪前にハンガリー・ブダペストで行われた世界選手権で優勝したことで、パリが見えてきました。

 

二宮: その世界選手権ですが、日本人女性選手では3人目となる3連覇中(21~23年)です。まさに無敵状態ですね。

: それはほめ過ぎです(笑)。でも、早めにパリ五輪の代表内定をもらえたので、しっかり準備して本番を迎えたいと思っています。

 

二宮: 少しこれまでの柔道人生を振り返ってもらいたいのですが、柔道を始めたきっかけは?

: 接骨院を経営していた父が柔道をやっていて、小学2年の時に警察署の柔道クラブに連れて行ってもらったのが始まりです。

 

二宮: 幼い頃から五輪出場を意識していましたか。

: それはなかったですね。体が小さくて、大会に出ても1回戦を勝てればいいほう。練習でも試合でも、負けると悔しくていつも泣いました。

 

二宮: 現在の強さからは想像がつきません。やめようとは思ったことは?

: 何度も思いました。でも中学生になった頃から、「どうせなら黒帯(初段)まで」と思って続けてきました。

 

二宮: その後、高校柔道の強豪・千葉県立八千代高へ進むわけですが、何か「強くなりたい」と思う動機があったのでしょうか。

: 中学2年の時に全中(全国中学校柔道大会)に出場し、1回戦の開始早々に一本負けしました。当時は技もろくに知らない状態だったので当然の結果なのですが、もう悔しくて仕方なかった。それで強豪校に行って、もっと強くなりたいと思うようになりました。

 

二宮: インターハイでも活躍されましたね。

: 活躍といっても2年時の3位が最高です(苦笑)。

 

二宮: 全国3位ですから十分すごいでしょう。そうすると、大学からもずいぶん誘いがあったのでは?

: 高校で燃え尽きたので、大学ではもう柔道はいいかなと。それでパティシエの専門学校に行こうと思っていたんです。ところが高校の監督から、「せっかくここまで来たんだから頑張りなさい」と言われ、両親も柔道を続けてほしい様子だったので、大学(東京学芸大)でも続けることにしました。

 

二宮: 大学はスカウトですか。

: いえ、スポーツ推薦です。当時は「インターハイ3位以上」という基準があり、私に話が回ってきました。

 

二宮: 大学時代は、3年時に体重別(全日本学生柔道体重別選手権大会)で優勝しました。卒業後は学校法人了徳寺学園の所属になりましたが、直後に大きな手術をしていますね。

: 大学時代から膝の故障が多く、4年生の最後のほうで前十字靭帯を痛めました。それで卒業後すぐに手術をし、1年間はほとんどリハビリです。当然、焦りはありましたが、一方で「結果を出さなければいけない」という強い思いが湧いてきて、挫折を感じる暇もなく練習に打ち込むことができました。

 

二宮: けがから復帰した後、2016年12月のグランドスラム東京でIJF(国際柔道連盟)ワールドツアー初優勝を果たし、活躍の舞台を世界へ広げます。その後も順調に成績を残し、東京五輪の有力候補と目される中で、19年秋に階級を52kg級から48kgに変更しました。これはなぜ?

: 当時、52kg級には志々目愛選手がいて、阿部詩選手も台頭して来ていました。その中で切磋琢磨していたわけですが、思うような結果が出せず、19年の世界選手権代表を逃してしまったんです。当然、東京五輪の出場も難しくなりました。でも、「48kg級ならチャンスがあるのではないか」との声があり、それに懸けようと11月の講道館杯から本格的に48kg級で戦うことに決めました。

 

二宮: 確かに52kg級は、世界大会で優勝するより日本代表になるほうが難しいと言えるほど強豪ぞろいでしたからね。階級を下げたことで減量が必要だったと思いますが、大変ではなかった?

: キツかったです。当初は減量方法もよく分からなくて、筋肉も落としてしまいました。減量後のリカバリー(回復)もままならず、それこそ単に体が小さくなった感じで試合に臨んでいました。

 

二宮: そこまで大変な思いをして目指した東京五輪は、残念ながら補欠にとどまりました。当時はどんな心境でしたか。

: それこそ東京五輪で引退してもいいくらいに思っていたので、モヤモヤしながら試合に出ていました。でも、東京五輪開幕前に行われた世界選手権の代表に選ばれ、五輪代表組がいない中とはいえ優勝することができた。それで、「できるところまで頑張ってみよう」と思えるようになりました。

 

(詳しいインタビューは3月1日発売の『第三文明』2024年4月号をぜひご覧ください)

 

⻆田夏実(つのだ・なつみ)プロフィール>

1992年8月6日、千葉県八千代市生まれ。父親の影響で小学2年から柔道を始める。八千代高校を経て東京学芸大学に進学。3年時に、全日本学生柔道体重別選手権大会の52kg級で優勝した。大学卒業後は学校法人了徳寺学園に所属。2016年16年11月、講道館杯初優勝。同年12月のグランドスラム・東京で、IJFワールドツアー初制覇を果たす。19年10月以降、それまでの52kg級から48kg級へ階級を変更。21年、世界柔道選手権大会(ブダペスト)で初優勝すると、3連覇を達成。23年6月、24年パリ五輪の日本代表に内定。現在の所属はSBC湘南美容クリニック。身長161cm、得意技は巴投げ、関節技。


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