現役引退を表明した野茂英雄に「殿堂入りの有力候補になる」と明言し、久しぶりに存在感を示したのが元ドジャース監督のトミー・ラソーダ。
 メジャーリーグ通算123勝は野球殿堂入りには足りない数字だが、日本プロ野球時代の78勝を足せば201勝になる。

 野茂の偉大さは勝ち星の数だけでは語れない。アメリカン、ナショナル両リーグでのノーヒッターはメジャーリーグ史上4人目。ストライキで客足が鈍ったメジャーリーグのスタンドに観客を呼び戻したという功績もある。
 そうしたことも含めて考えれば、野茂が殿堂入りする可能性は極めて高いのではないか。80歳の今でも米球界に隠然たる力を持つラソーダの後押しがあればなおさらだ。
海を渡り、ドジャースに入団した野茂を誰よりもかわいがったのが、当時の監督ラソーダだ。
「Great my son」(偉大なる我が息子)
 この言葉は流行語にもなった。

 野茂がメジャーリーグで初勝利をあげたのは1995年6月2日、ドジャースタジアムでのメッツ戦。8イニングを投げ、被安打2、1失点。素晴らしい内容だった。
 試合後、ラソーダは野茂に抱きつき、「オレはオマエのことを誇りに思う」とささやいた。「あの日のラソーダの言葉は今でも忘れられない」と野茂は語っていた。

 イタリア系ということもあって、とにかく陽気な指揮官だった。ドジャースの監督を21年にもわたって続けられたのは、選手たちの気持ちを掴み切っていたからである。
 こんなことがあった。野茂がメジャーリーグで初安打を記録した日、一番、喜んだのがラソーダだった。
 実はラソーダはあるベテラン選手と「今日、野茂はヒットを打つかどうか」で賭けをしていたのである。どうやら負けたほうがスシをおごることになっていたらしい。
「オマエが打ってくれたおかげでオレはスシを食えるんだ。いやラッキー、ラッキー」
 そう言いながらネタ切れになるまで大好物のマグロを口に運んでいたと野茂は苦笑を浮かべながら語ったものだ。

 野茂は今でも名指揮官を二人あげろと言われれば、近鉄時代の恩師・仰木彬(故人)とラソーダの名前をあげる。
 二人に共通するのは選手思いで、あまり細かいことには口出ししない。野茂にとっては「良きオヤジ」だったのではあるまいか。
 05年、ラソーダはプロフェッショナル・ベースボール・スカウト基金から「20世紀最高の監督」に選ばれた。戦略や戦術の面ではラソーダ以上の監督はたくさんいたが、チームをファミリーとみなし、技量も性格も国籍も違う選手たちをひとつに束ねる能力は際立っていた。
 96年6月に心臓障害で倒れなかったら、もっと長くドジャースの監督を務めていただろう。

<この原稿は2008年8月17日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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