細谷真大に感じた、屈しない工藤壮人のマインド

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 パリオリンピックを手繰り寄せたのはエースだった。

 

 ドーハで開催中のU-23アジアカップ、準決勝のU-23イラク代表戦。勝てば五輪出場権を手にできるこの一戦、前半28分に藤田譲瑠チマからのフィードを引き出した細谷真大が絶妙なトラップからのターンで相手をかわし、冷静に右足で流し込んだ。2戦連発となるエースの先制弾がチームに勢いをもたらし、勝利を呼び込んだ。

 

 延長戦で決勝弾を挙げた準々決勝のU-23カタール代表戦まではノーゴールが続いていた。動きは決して悪くなく、決定機をつくりながらもゴールが奪えない。所属する柏レイソルでも得点を挙げられておらず、負のスパイラルにハマりつつあったことは否めない。それでも大事なカタール、イラクとの2試合で勝負強さを発揮するあたりはやはりエースの名にふさわしい。裏を狙い続け、肉弾戦にも屈せず、ハードワークをやり続けた先に本領発揮が待っていた。

 

 背番号「19」はレイソルでも着けており、彼の強い愛着と思い入れを感じる。レイソルのエースストライカーを務めた工藤壮人が背負っていた番号であり、レイソルのアカデミーで育ってきた細谷にとって憧れの存在だったと聞く。

 

 工藤は2011年のJ1制覇などレイソルの黄金期に貢献した一人。日本代表としても4試合2ゴールの成績を残している。J3テゲバジャーロ宮崎時代の2022年10月、水頭症と診断されて手術を受けたものの、容体が悪化して帰らぬ人となった。32歳という若さであった。

 

 細谷のイラク戦のゴールを目にしたとき、工藤がテゲバジャーロに移籍して初ゴールをマークした2022年3月20日のギラヴァンツ北九州戦をふと思い出した。

 

 プレーの詳細は違えど、後方からのフィードに抜け出して、相手を駆け引きでかわして、ゴール右隅に決めるという一連の流れが似ていた。Jリーグでは2年半ぶりとなる工藤のゴールだっただけに筆者の脳裏にも深く焼きついている。

 

 あのときの工藤は紆余曲折を経てテゲバジャーロにたどり着いた。

 

 レイソルから移籍したMLSのバンクーバー・ホワイトキャップスではアゴを骨折する大ケガに見舞われ、帰国後はサンフレッチェ広島、そしてレンタル移籍で山口へと渡ったが、ストライカーとして思うようにゴールを積み上げられずに2019年シーズン限りで契約満了となった。その後オーストリア2部のチームから契約締結を前提に練習参加したものの契約に至らず、ドイツ4部、チェコ2部、ポーランド2部のクラブと次々にトライアルを受けたが色よい返事をもらえなかった。コロナ禍もあって所属先が見つからないなか母校の日体大柏高校で練習を続け、1年近く実戦から遠ざかった。

 

 引退もチラついたなかでオーストラリア1部ブリスベン・ロアーからオファーが届き、加入後は14試合1ゴール。契約更新には至らなかったものの、あきらめずにトレーニングを続けていた工藤に対し、今度はテゲバジャーロから声が掛かった。苦しみ抜き、もがいた先にあのギラヴァンツ戦の復活ゴールがあったのだ。

 

 このゴールの後、工藤にインタビューする機会があった。

 

 彼は言った。

「ポジションもいろいろとやりましたけど、自分はやっぱりストライカー。100か0の世界にいて、その緊張感、ワクワク感はたまらない(笑)。点を決める、アシストする。テゲバジャーロ宮崎でもそこを期待されていることは分かっています。次の試合だけを考えて、無心でハードワークしていくだけ」

 

 工藤はプレーも気質も、根っからのストライカーであった。細谷にもそれは言えること。背番号のみならず、負の状況に置かれても、屈しないマインドも引き継いでいるに違いない。

 

 メダル獲得が期待されるパリオリンピックでも厳しい戦いが待っているはず。苦しいときにこそ緊張感とワクワク感をパワーに変換でき、無心でハードワークできるエースに期待したい。

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