リーグを代表する人気チーム同士の対戦となり、近年最大の注目を集めた今季のNBAファイナル。結果はボストン・セルティックスがロスアンジェルス・レイカーズを4勝2敗で下し、通算17度目の王座に就いた。
 シリーズが決着した第6戦のアメリカ国内でのテレビ視聴率は2000年以来最高を記録。戦前の期待通りファイナル中には数々のドラマティックなシーンが生み出され、スポーツファンを歓喜させてくれた。
(写真:劇的な優勝決定の瞬間、ボストンのアリーナに紙吹雪が舞った)
 そこで今回は、豊潤のシーズンを締めくくったファイナルの中から想い出深い4つのトピックスをピックアップしていきたい。ここで挙げたそれぞれのエピソードは、伝統のセルティックスとレイカーズのライバル関係の中に永く刻まれていくことだろう。

1.ピアースのドラマ

 第1戦の第3Q、残り約7分となったところでシリーズ最初のドラマは生まれた。セルティックスのキャプテン、ポール・ピアースが相手選手と接触し、右膝を痛めて退場したのだ。

「これですべて終わってしまうのかと思った」とピアース本人が後に語っているように、チームメートたちにかつがれてロッカールームに戻った時点では、かなりの重傷に思えた。しかしそれからわずか1分40秒後、ピアースは地元ファンの大歓声を浴びてコートに復帰。すぐに2本の3点シュートを決めてセルティックスの逆転劇を演出したのである。
(写真:緑(セルティックスのチームカラー)に身を包んだファンの歓声は爆発的だった)

 結局この試合後半、負傷を負った後のピアースは手に取ったショットをすべて成功。さらに続く第2戦以降も神懸かり的な活躍を続け、見事にファイナルMVPを獲得した。まるでハリウッド映画のようなこのストーリーこそが、今季NBAの象徴的シーンとして後生に語り継がれていくに違いない。

2.歴史的逆転劇

 ロスアンジェルスで行なわれた第4戦は、第2Q途中でレイカーズが大量24点をリード。やや苦手なアウェー戦ということもあり、セルティックスにはもう勝機はないとその時点で誰もが思った。

 しかしこの苦境下でも必要以上に慌てなかったセルティックスは、第3Q以降に一気にギアアップ。まず固いディフェンスで相手の追加点を食い止め、さらにピアース、ケビン・ガーネット、レイ・アレンの「ビッグスリー」がそれぞれ20点前後の得点を挙げて追いすがった。
(レイ・アレン(写真)、ケビン・ガーネット、ポール・ピアースの「ビッグスリー」はチームの大黒柱であり続けた)

 最終Qにはベンチプレーヤーたちも効果的に貢献し、試合時間残り4分で飛び出した伏兵エディ・ハウスのジャンパーでついに逆転に成功。その後も息詰まる接戦を凌ぎ切り、歴史的逆転劇は完遂した。

「諦めなかった彼らを誇りに思う」とドック・リバースHCも胸を張った24点差を引っくり返しての勝利は、1971年以降、ファイナル史上最高のカムバック。セルティックスは劇的な形で3勝1敗と王座に王手をかけ、レイカーズに決して立ち直れない強烈なダメージを与えることに成功した。

3.コービー不発

 NBAの現役ベストプレーヤーの名を欲しいままにするコービー・ブライアントは、今ファイナルでも断然のMVP候補だった。
 しかしこのシリーズでは平均25.7得点(FG40.5%)と煮え切らない成績。普段は圧倒的な強さをみせるクラッチタイムにも沈黙し、戦前は圧倒的有利と言われたレイカーズ惨敗の主要因となってしまった。
(写真:LAの人々の期待を一身に集めたコービーもセルティックスの壁を突破できなかった)

 この「コービー完封」の原動力は、セルティックスのアシスタントコーチを務めるトム・シボデューだったと言われる。もともとフィラデルフィア出身のコービーは、かつてシボデューがフィラデルフィア・76ersの職員を務めていた時代にコーチを受けたことがあった。

「アンフェアだよ。僕が14歳のときに、彼はNBAのトレーニング方法を伝授してくれたんだ。そのときから、僕の弱点を知り尽くしていたのだろう」

 敗れたコービーはそう語っている。もちろんそんなコメントは半ばジョークに違いないが、一方で業界屈指の守備コーチと呼ばれるシボデューが、長い時間をかけて昔なじみのスコアラーを研究していたことは疑いも無い。
 守は攻を制す。名参謀の指導を受けたセルティックスの固いディフェンスは、リーグ最高の選手をも封じ込めるのに十分だった。

4.リバースHCと父

 今季開幕直後の11月、セルティックスのドック・リバースHCの父親が逝去。チームと故郷を行き来する慌ただしいスケジュールで父の葬儀を終えたリバースは、以降も破竹の勢いで駆け上がったセルティックスとともに邁進を続けた。

 そして、ようやく辿り着いたファイナル。その期間中に「これまで父のことをゆっくり思い返す時間すらなかった」と語ったリバースは、ついに優勝を決めた後の会見の席で、静かに泣き崩れた。もう試合に向けて準備する必要はない。亡き父とゆっくりと対話することもできる。

「優勝が決まった瞬間、父がなんて言ってくれるだろうかということがまず頭に浮かんだよ」
 ファイナル制覇を決めた記念すべき日、6月17日は、リバース父が生きていれば77度目となる誕生日だったのだという。

 ドリームシーズンの結末は、最後の最後まで余りにもドラマティックだった。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

※杉浦大介オフィシャルサイト Nowhere, now here
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