阪神は4月17日、甲子園で巨人に2対0で勝利。岡田彰布監督は阪神の監督として通算485勝目をあげ、吉田義男の484勝を抜き、単独2位に浮上した。歴代1位は1962年、64年と2回、チームをリーグ優勝に導いた藤本定義の514勝だ。

 

 

<この原稿は2024年5月20日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

 

 言うまでもなく、藤本は名門球団である巨人と阪神で指揮を執ったことのある唯一の人物である。

 

 藤本のニックネームは“伊予の古狸”。愛媛の名門・松山商高から早大に進学、社会人野球のプレーイングマネージャーを経て、1936年に巨人の初代監督に就任した。

 

 それから複数の球団で指揮を執り、61年、正式に阪神監督に就任した。

 

 藤本が“伊予の古狸”と呼ばれるのには、理由がある。古巣・巨人を倒すために、ありとあらゆる権謀術数を巡らしたからだ。そのひとつが61年に監督に就任した川上哲治への“威嚇”である。

 

 後に“打撃の神様”と呼ばれる川上だが、入団当初は投手が本職だった。打撃の良さに目を付けたのが藤本。「ファーストミットを用意しろ」の一声で、一塁に転向し、プロとしての道が開けた。川上にとって藤本は恩人である。

 

 プロ野球は今も昔も、長幼の序にうるさい。恩人ともなれば、なおさらだ。

 

 それをいいことに、試合前、藤本はことあるごとに川上を呼びつけた。

 

 ある日のことだ。「オイ、テツ! オマエはウチの若いのを潰すのか!!」。入団1年目の江夏豊がオールスターゲームで3連投。全セの監督は川上。これに藤本は激怒した。

 

 以下は江夏の話。「次の瞬間、川上さんが昔の軍隊みたいにダーッと走ってきて、帽子をとって挨拶するわけよ。あれでおじいちゃんがすごい監督なんだとわかったね」

 

 後に藤本は、自らの威厳を示し、チームをひとつにまとめるための策略だったと明かしている。名将の、もうひとつの顔である。

 


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