エキサイティングな打撃戦となることが確実視されたWBAウエルター級タイトルマッチは、蓋を開けてみれば予想された以上の激闘となった。
 王者ミゲール・コットと元IBF&WBO王者アントニオ・マルガリートは開始ゴング直後から壮絶な打撃戦を展開。両者の意地とプライドがぶつかり合ったハイレベルな攻防の末に、最後は11ラウンドにマルガリートがここまで無敗を続けてきたコットをストップした。
(写真:全力ファイトで人気を博したコット(左)だが今回はマルガリートに苦杯を喫した)
「ビッグイベントが前評判通りの試合になることは滅多にない。しかしこのタイトルマッチは、期待通りどころか、期待を遥かに超える内容になった非常に珍しい例と言えるのかもしれない」
「ESPN」のダン・レイファエル氏がそう語ったように、試合後も両者への賞讃は鳴り止む気配がない。マルガリートの人間離れしたタフネス、スタミナは驚異的だった。敗れたコットも総合力とハートの強さを改めて印象づけた。

 2008年のボクシング界は去年に引き続き好ファイトが多いが、その中でもこの試合はトップクラスに位置する。中量級頂上決戦というイベント自体の元々の重要度を考えれば、同じく素晴らしい激戦だったイスラエル・バスケス対ラファエル・マルケス第3戦をも凌駕し、コット対マルガリートは「年間最高試合」の筆頭候補と言えるかもしれない。

 ただ、試合内容自体には快哉の声を挙げても、最終的にコットが敗北したことに大きなショックを受けたものが米ボクシング界に多かったのも事実である。
 まずビジネス面で考えて、これで待望されていたオスカー・デラホーヤ対コット、フロイド・メイウェザー対コット戦の早期実現の可能性は消滅。昇り竜の勢いで評価を高めていたプエルトリコの英雄の初めての挫折によって、業界を潤すはずだった数々のビッグファイトはお蔵入りとなってしまった。
(写真:コットの初黒星に多くのボクシングファンが落胆した)

 さらに言えば、コットはアメリカの多くのボクシング関係者のお気に入りと言える存在だった。それだけに、彼の初めての挫折に人々は一様に落胆したのだ。
「人生はまだ続いていく。これですべてが終わったわけではないんだ。長い休養期間を置いて、次に何をするべきか決めようと思う」
 今回の試合後のそんな実直なコメントが示すように、コットは生真面目な性格と真摯なコメントで報道陣から人気があった。またその性格通りにボクサーとしても黙々と努力し、少しずつだが確実に実力者の階段を上っていた。

 メイウェザーのように誰が見ても明白な天賦の才能に恵まれているわけでは決してない。だが強力な左フック、ボディ打ちといった武器だけに頼らず、キャリアを追うごとにディフェンス、左ジャブといった基本的な部分にも進境をみせていった。そしてついにはメイウェザーにとって「最大の脅威」と呼ばれるまでに成長。その躍進の過程は、実にエキサイティングで見応えがあった。

 筆者もまたそんなコットの支持者だった。常に最強の相手と対戦するマッチメーク、試合前でも相手への尊敬を惜しまない姿勢と合わせ、コットはボクシングを武道と捉える人々にとっての理想像をある意味で体現していたのかもしれない。

 今回のタイトルマッチでも、戦前はコットの苦戦、敗北の可能性を危惧する声は決して少なくなかった。マルガリートはそれを可能にするスタイル、体格、実力を備えていた。しかしそれでも最後には、コットがまたなにか新しい武器を誇示して混戦を抜け出すのではないか。そんな期待感を抱きながら、筆者を含む多くの人々はこの試合を見つめていたのだ。

 しかし、それほどの尊敬を業界から集めていたボクサーが味わった、キャリア初めての痛烈な挫折――。
 素晴らしい内容の試合で、より勝者に相応しいものが勝ち残った。どんなボクサーにも挫折が訪れ得ることも分かっている。だがそれらを理解しているからといって、彼を支持した人々の喪失感が和らぐわけではない。

 ストップされる寸前、血まみれになり、弱気になったコットを見るのは悲しかった。願わくばあともうしばらくだけ、気取らない英雄の地道な進撃を見守り続けていたかった。

 さて、それでは最後に、コット敗北後の世界ボクシング中量級の行方を考えていきたい。ビッグファイトを制したばかりのマルガリートももちろん主役の1人となるのだろう。だが、この選手も絶対的な強さを誇る選手ではない。
 並外れたタフネスは誰にとっても脅威ではある一方で、極端なスロースターターであるマルガリートはどの試合でも前半は苦戦することが多い。さらに自身より背の低いコットにすら6Rまでアウトボクシングを許したことから分かるように、基本的に中間距離の戦いは苦手だ。

 約1年前に長身のアウトボクサー、ポール・ウィリアムスに判定負けを喫したのはフロックとは思えず、このウィリアムスと再戦した場合には有利の予想は出せまい。スピード型のシェーン・モズリー、あるいはメイウェザーが現役復帰後に対戦したとして、逃げ切られる可能性はかなり高いだろう。

 さらに言えば、今後の対戦オプションはそれほど多くないのも現実だ。
 前述したように今年も好試合の連続で業界は活気づいたものの、デラホーヤ、メイウェザーが引退し、コットも敗北。マルガリートにもまだピンで大興行の主役となれるほどの知名度はないだけに、当面の間はビッグファイトを実現させるだけの駒が枯渇してしまったと言えないこともない。

 とりあえずは今週末に行なわれるザブ・ジュダー対ジョシュア・クロッティのIBFウエルター級王座決定戦に注目だ。ここで眠れる天才ジュダーが強敵クロッティを撃破出来れば、続いて予定されるマルガリートとの激突は興味深い。
(写真:才能を無駄にし続けるザブ・ジュダーは最後のチャンスを活かせるか)

 手足のスピードは抜群のジュダーはマルガリートをポイントアウトできるだけのツールを備えている。とにかく集中力に欠けるためエリートどころには勝てないものの、ここからの2試合は一皮むける最後のチャンスかもしれない。一方のマルガリートの方も、ネームバリューのあるジュダーを完璧な形で葬り去れば、スーパースターダムにさらに近づくことになるだろう。

 いずれにしてもこれから先の中量級は、新たな支配者を生み出すための準備期間を迎えることになる。
 メイウェザー、デラホーヤが席巻した時代を次ぐのは、金星を挙げたばかりのマルガリートか、巻き返しを計るであろうコットか、あるいはジュダーが意地を見せるのか。それともアンドレ・バートに代表される新星群の中から誰かが一気に駆け上がってくるか。
(写真:22戦全勝(19KO)のWBCウエルター級王者アンドレ・バートも次世代のスター候補だ)

 繰り返すが、コットの完敗に多くのファンや関係者はショックを受けた。だが心配せずとも、またすぐに新たに魅力的なボクサーが戦線に躍り出て、強豪相手に熱戦を繰り広げ、私たちの心を癒してくれるのだろう。

 ここ2年ばかりの間はとにかく好試合が頻発し、「瀕死のボクシングを救え」などと叫ぶものはもうどこにもいなくなった。業界全体が協力し合って良いカードを生み出そうという動きはすでに定着したと言って良い。
 誰が次のトップボクサーに名乗り出ようとも、この強豪同士の直接対決の傾向は継続され、ボクシングファンの楽しみはまだまだ続きそうである。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

※杉浦大介オフィシャルサイト Nowhere, now here
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