報われない死闘を演じ続けたボクサーがいる。元東洋太平洋バンタム級王者の村田英次郎だ。
 世界王座に4度挑み、2分け2敗。2度のドローは村田に軍配が上がってもおかしくない試合だった。紙一重の差に泣き続けた。引退後、村田は私にこう語った。「これが私の運命ですよ。自分がいくら強くたって、それ以上に強いチャンピオンがいたら世界はとれない。それがボクシングですよ」

 相手が悪かったとしか言いようがない。世界戦の相手はルペ・ピントール(メキシコ)とジェフ・チャンドラー(米国)。そんじょそこらの世界王者ではない。ピントールと戦ったのは、彼がバンタム級史上に残る強打者カルロス・サラテ(メキシコ)からタイトルを奪って5戦目。そのピントールと火の出るような打ち合いを演じ、その名を世界中に知らしめた。
 もうひとりのチャンドラーは同級王座を10連続防衛することになる黒人のハードヒッター。最初の対決では初回にいきなりカウンターの右がヒットし、ベルトを引き寄せかけた。終盤に挽回され、またもやドロー。「悲運のボクサー」と呼ばれた。

 村田の金子ジムの後輩にあたるのが7月30日、WBC世界フライ級王者・内藤大助を相手に善戦した清水智信。10ラウンド、左フックでアゴをすくわれるまでは、わずかながらリードしていた。油断したわけではあるまいが、この回、内藤の変則的なフックの当たる距離にスッと入ってしまった。老獪な王者にそこを突かれた。

「王座は奪いとるものではなく与えられるもの。実力が備わってくれば自然に神様が与えてくれる。それが父の口ぐせです。父も私もクリスチャン。残念ながら清水にはまだ本物の実力が備わっていなかったということでしょう。もう1度出直します」。金子ジム会長の金子健太郎は無念の口ぶりでそう語った。父とはジムの創設者である金子繁治。1950年代、フィリピンの英雄フラッシュ・エロルデと名勝負を展開した往年の名ボクサーだ。現在76歳。村田の師でもある。

 ジム創設43年。これまでに輩出した東洋太平洋王者4人、日本王者8人。しかし世界王者はなし。「オヤジの元気なうちに…」と健太郎会長。視線の先には清水がいる。世界戦で赤コーナーを背にする日はやってくるのか。

<この原稿は08年8月6日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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