「今回、私は不運に見舞われました。でも、自分の代わりに誰かに(決勝戦に)出てもらうとしたらヨアキム(・ハンセン)しかいないと思います」
 リング上でエディ・アルバレスが、そう話すと、場内がドッと沸いた。その瞬間、何かが変わったことに私は気付いた。私だけではなかっただろう。7月21日、大阪城ホールに集った多くのファンが、そう感じていたのではないか。勝負に勝つためには、どうしても味方につけなければならない「風」の吹く向きが、あの瞬間に変わったのだ――。
 最初は、青木真也の背中を押すように風は吹いていた。『DREAM5』は、ライト級GPの決勝ラウンド。そのトーナメント準決勝第1試合で青木は、キャリア十分の難敵・宇野薫を3−0の判定で降した。得意の関節技で一本を奪うことこそできなかったが、15分間を通して攻め続けての文句無しの完勝……この一戦が事実上の決勝戦と目されていたこともあり、青木が優勝をグッと引き寄せたように思えた。
 続く準決勝第2試合は予想通り、凄絶な打撃戦となった。一撃で相手を倒せるパンチを有するアルバレスと川尻達也は激しく打ち合う。その結果、勝ったのはアルバレス。しかし、勝利の代償は大きく、彼の顔は見るも無残に腫れ上がり、体力の消耗も明らかだった。
 青木のファンは関西にも多い。
「青木の優勝は間違いないな」
 嬉しそうに話す声が客席から聴こえてくる。風は、より速度を増して青木の背中に向かって吹いていたのだ。

 しかし、第8試合の秋山成勲×柴田勝頼戦終了後に、アルバレスの決勝戦棄権が場内にアナウンスされる。そして、リング上から彼が冒頭の言葉を発した時、風の向きが変わった。
 川尻戦で眼球損傷、眼窩底骨折の疑いもあり、このまま闘い続けると失明の恐れもあると判断したドクターがアルバレスの決勝戦出場にストップをかけた。アルバレスに敗れた川尻はTKO負けを喫しており敗者復活の権利は持っていない。この流れを経て、この日の第4試合・リザーブファイトで、ブラック・マンバを破ったハンセンが決勝の舞台で青木と闘うことになったのだ。
 相手が傷だらけのアルバレスならば、青木が勝利する確率は高かった。いや、ハンセンが相手でも本来ならば、青木が有利である状況は変わらなかったはずだ。何しろ、青木は一度、ハンセンに完勝(トライアングルホールド、1R2分04秒=2006年12月31日、『PRIDE』 男祭り 2006 〜FUMETSU〜)している。それでも場内の空気が変質し、風の向きが一変したのは、アルバレスが「ヨアキムしかいない」と言った時に観衆の多くが『DREAM3』でのラジカルファイトを思い浮かべたからに他ならない。
『DREAM3』が開催されたのは、5月11日、さいたまスーパーアリーナ。そこで行なわれたライト級GPトーナメント準々決勝でアルバレスはハンセンと珠玉の打撃戦を繰り広げた。
「そこまでやるのか」
 観る者の誰もが、そう思うほどの苛烈な潰し合いは、『PRIDE』のリングを彷彿とさせる闘いだった。勝ったのはアルバレス。だが敗れたハンセンの勇敢さもまたファンの心を熱くさせた。かつて宇野、そして、この階級では「最強」と称される五味隆典をも撃破しているハンセンが、この大舞台でアルバレスの無念さをも背負って闘う……観る者が「何かが起こる」と予感した。

 決勝戦については、ここで改めて記すまでもないだろう。初代DREAMライト級王座にはハンセンが就いた。青木は悔し涙を流した。
 勝者になるためには風を味方につけねばならない。
 では、ハンセンが味方につけ、青木が味方につけることのできなかった風の正体とは何なのだろうか?
 本当は、風を観客やファイターが感じ取っているのではない。リング上を凝視する者の想い、そして、ファイターの揺れる感情こそが、風を生み、吹かせているのである。


<『DREAMライト級グランプリ』決勝ラウンド結果>
▼トーナメント準決勝・第1試合(1R10分&2R5分)
○青木真也(日本/パラエストラ東京)
(判定3−0)
×宇野薫(日本/和術慧舟會)

▼トーナメント準決勝・第2試合(1R10分&2R5分)
○エディ・アルバレス(米国/エリートXC・ファイトファクトリー)
(TKO、1R7分35秒)
×川尻達也(日本/T-BLOOD)

▼リザーブマッチ(1R10分&2R5分)
○ヨアキム・ハンセン(ノルウェー/フロントライン・アカデミー)
(腕ひしぎ十字固め、1R2分33秒)
×ブラック・マンバ(インド/フリー)

▼トーナメント決勝(1R10分&2R5分)
○ヨアキム・ハンセン(ノルウェー/フロントライン・アカデミー)
(TKO、1R4分19秒)
×青木真也(日本/パラエストラ東京)

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜(文春文庫PLUS)』ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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